2009年3月アーカイブ

大きな二重のパッチリした目とか、寡黙な渋さとか、目尻の深いしわとか、豊かな銀髪とか・・・。
とにかく私は無いものねだりをしてしまう。
という訳でパチもんの私はほんまもんを求めてしまう。ものとしてのほんまもんはもちろん好きなのだが、ほんまもんにこだわるほんまもんの人の方がさらに好きかもしれない。


親父もそうだったので、DNAに組み込まれているのかもしれないが私はケチと言われることが嫌いである。しかし人は自身に関して本当のことを言われるのを嫌う傾向があるそうなので、恐らく私は本質的にはケチなのだろう。
情報は発信するところに集まると考えているので、情報発信に関してはケチでないはずなのだが、よく考えると日常的によく行くお気に入りの中華料理店に関してはあまり人に教えない。やはりケチなのだ。
全国にチェーン展開しているオレンジ色の牛丼屋さんを私が美味いと書いても当たり前のことだし全国にたくさんの店があるので何の影響も無いが、20人ほどのキャパシティしかない隠れた名店のようなところになると、もしかするとなかなか入りにくくなってしまうかもしれない。だから教えない。いくらケチと罵られ挑発されても教えない。

ここも本当は教えたくない小さな名店だが、先日店主と話していると不景気で困るということだったし、ブログに書くことの許可も得たので少しだけ紹介しておこう。
偶然通りがかりに発見した神戸の二宮神社の近くにあるクリーニング屋さんなのだが、何せ素晴らしい。糊の利き具合といい出来上がりがとにかく素晴らしい。以前、私がその品質の高さに驚きの声をあげると、「真面目にやっていればこうなりますよ。」これまた素晴らしい。

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ケチな私がこっそりとお教えしよう。ここ。

私はタオルケットが好きで、冬でも毛布と体の間にはタオルケットが必要な体質である。そんな体質は医学的には認められないだろうが、私はそういう体質なのだ。
さらに幼いときからの習慣により、洗濯寸前のクタクタで少し湿度があり自分なりの柔らかい匂いがする状態を好んでいる。
洗濯直後の洗剤の香り、サラっとした肌触りは普通の人にとっては気持ちのよいものだろうが、私には心地よいものではない。それが新品になろうものならもっと違和感を持つのである。
先日何年も眠るときの私を心地よく包んでくれていたタオルケットにとうとう穴が開き、その役目を新品に譲らざるを得なくなった。
とは私の目線なのでタオルケットにとってはようやく御役御免だと安堵しているかもしれないが・・・。
という訳で最近の私は睡眠時間の割に疲れがとれていない。

路地の写真展か写真集を見たらしく、何事にも感化されやすい私の友人が路地の写真を撮るのにハマっているという。その話を聞いて私は生まれた頃に住んでいた灘区の光景を思い出し、小学校2年生まで歩き遊んでいた路地へ彼を連れて行った。舗装されてしまった部分もあったが概ねあの頃のままで、案内している間はとても懐かしく嬉しく興奮したひと時だった。
その頃住んでいた文化住宅の裏の路地に幼稚園児だった私が建てた墓標のことを思い出した。どこかの旅館でもらったインクの出なくなった青のボールペンに紙を貼り付けただけのものだったが、私が一所懸命作った墓標。
泣きながら別れを惜しんでいた私をからかってひらがなの「はか」の「は」に点をつけ「ばか」にした兄貴たち。とても悔しくさらに泣いたことを覚えている。

それは「タオルくんのばか」になってしまった。
そう、今から35年ほど前の私はタオルケットの墓を作っていたのだ。

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