院生生活日記02

大学院の授業が始まり一週間が経った。
6年前に学部に入学した時に感じたものと真逆のものを感じている。

同期生は4人。講義の数は学部より圧倒的に少ないが、講義の半分は受講生が私一人。ほぼ家庭教師状態。で、学費は学部より低い。
講義の数は確かに少ないが講義前後に課題が多く、かなり大変である。
ただ院生控室には各自一つ机が与えられているので、環境は申し分ない。

そして同期生は皆優秀で動機がしっかりしているので、刺激的である。
6年前とはやはり真逆の印象である。
23時まで使用可能な院生控室を22時くらいに出る時は必ず「お先に」と言って出る。
大変であることは間違いないが、充実した一週間である。
関西学院大学大学院教育学研究科1年
武部 健也

院生生活日記01

本日は関西学院大学大学院教育学研究科の入学式です。
6年前の大学の入学式で、スタッフの方々に何度も保護者席へ導かれたことを思い出します。
さて、今日はどうなるか。
そして2年で修了できるのだろうか。

関西学院大学大学院教育学研究科1年
武部 健也

自戒

現在放送中のドラマ『不適切にもほどがある!』の第1話で、阿部サダヲ演じる1986年から2024年にタイムトリップしてきた中学校教師のセリフ。
「こんな未来のために、こんな時代にするために俺たち頑張って働いてるわけじゃねえよ。」

先日東京で観劇し、来週京都でもう一度観劇予定の舞台『あゝ同期の桜』(https://unclecinnamon.com/news/18436)は遊就館で流したものと同種の涙なしには観られない。
「こんな未来のために命を懸けて祖国を守ろうとしたのではない。」
と言われている気がしてならない。

今を生きる我々は先人たちから受け取った時代を、未来の人々に繋いでいかなければならない。
我々が創造したのではないものを、我々が破壊することは決して許されない。
それどころかより良いものにしようと文字通り命を懸けてくださった先人たちのためにも、我々も命懸けでこの世の中を良くしなければならない。
現在の排他的で不寛容な世の中は、先人たちが望んだものでもなければ、現在を生きる我々、未来の人々が望んでいるものでもないはず。
しっかりと考えて行動に移さなければ手遅れになってしまう。

ドラマ・舞台から考えさせられた春。教育の重要性をあらためて感じた春。

領収書

今日は親父の命日。
あれから15年。
喪主挨拶でおふくろが語った「子煩悩な人でした」は息子に向けた言葉だったと思う。
ぶっきらぼうだったが、愛情に満ちていた人だったと伝えたかったのだろう。

今日は昨年3月に授与された領収書を持ってきた。
30数年前に私が内緒で勝手に大学を中退したことを知った親父が発した言葉。
「お前にとっては卒業証書かもしれんが、俺にとっては学費の領収書や!もらってこい!」
56歳の今なら、55歳だった親父の言葉の意味がよく分かる。

最高の日にバカな親子。

今日、2023721日はとても嬉しい日だった。

東京出張時に息子と息子の親友たちと一緒に飲んだ。

今秋結婚式を挙げる息子の親友夫妻から、結婚式へ招待された。

友人として招待された。

息子の友人から、友人として招待された。

息子の他の友人へのサプライズのために当日まで内緒にしなければならない。

今はメモに書くことしかできないが、嬉しくて涙が出た。

息子の友人に友人として迎えられた。

酒に強い息子が今夜は深く酔っていた。

恥ずかしくも情けないとも思わなかった。

息子は友人が自分の父親のことを友人として迎えたことを喜んだに違いない。

だからいつもより多く飲み、深く酔ったのだと思う。

秋にこの文章をどこかで公開することを楽しみにしている。

2023113日、彼らの結婚披露宴が開かれた。

息子は仕事で二次会からの出席となったが、私は式から全て出席させてもらった。

楽しく感動的な時間だった。

三次会、四次会に出席した後、丸の内のホテルに帰って寝たが、今渋谷に向かっている。息子たちはまだ飲んでいるようなので、合流するために。

バカ親子の朝。848分。

75期末に

今日は当社創業者である祖父の35回目の命日。
社内で存命中の祖父を知る者は私を含めて3名となっている。
私以外に2名いるということは、ありがたいことであるし、喜ばしいことである。

5年ぶりに社会人として墓前に立つ。
4月からの約5ヶ月間、代表取締役として社業と向き合ってきたが、学生と兼務している間に社内外の環境が激しく変化していたことにあらためて気付かされた。
新型コロナウイルス感染症、ロシアによるウクライナ侵攻という大きく長い波は、我々の事業の隅々まで大小様々な影響を与え続けている。
しかしながら問題は、そのことを言い訳にして学びや成長を止めてしまっている当社の中にあると感じている。
社員同士のコミュニケーションが質・量ともに低下し、良いモノ作りへの執着心を見失いかけている社内を見渡すと、課題の多さにやる気が湧いてくる。
もう一度気を引き締めて76期に向かいたいと思う。

私が代表取締役に就任したのは56期だった。

キャリア教育

昨年に引き続き、今年も兵庫県立加古川南高等学校でキャリア教育のお手伝いをさせていただきます。
「プロに聴く」というテーマで、様々なジャンルのプロフェッショナルが、高校1年生に自らの仕事の内容や歩んできた人生について90分間話すというものです。
昨年初めてお手伝いさせていただいたのですが、今年も声を掛けていただきましたので、精一杯努めたいと思います。

IMG_5640.jpeg キャリア教育の重要性を感じ、キャリア教育について学びたいと思っている私にとって、実践させていただく機会は本当にありがたいものです。
今日出会う高校生たちの人生が、少しでも豊かなものになるよう努めます。

学生生活日記最終回

5年間にわたる二度目の大学生生活に別れを告げることになりました。
一度目とは比較にならないくらい一所懸命学修に取り組み、比較にならないくらい良い成績で卒業することができます。
32年前の自分というハードルが、驚くほど低いものであったことに救われました。

教育学部の先生方は大学の教員とは思えないほど親切で優しく、異物のような存在である50代の学生にも適切に接してくださいました。
なかでもゼミに入れてくださった佐藤先生はバランス感覚にも優れた方で、私のキャリアを理解してくださったうえで、学修への取り組み方を指導してくださり、教育学の本質へ導いてくださいました。
そして、一回生の時に履修した科目を担当されていた江原先生、この先生との出会いがなければ一年で中退していたかもしれません。先生も社会経験とバランスの取れた研究活動をされる方で、私の存在を重宝がってくださる方です。
お陰で二度目の学生生活の意義を再確認することができ、客観性を持って臨むことができました。
お二方以外にもいつも私を気にかけてくださる先生方に見守られて充実した学生生活を送ることができました。
さらに、私のバカ話や悩みにいつも長々と付き合ってくれたリプラのスタッフの皆さんや、守衛の織田さんにもいくら感謝してもしきれません。
皆さんとは卒業してからも何らかの関わりを持つことができれば嬉しく思います。

また、出社する機会が激減する中で、私のわがままを許し、社を守ってくれた社員のみんなにも心から感謝しています。
多くの方々に支えられて充実した学生生活を送ることができた私は本当に本当に幸せ者です。

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入学式で保護者席に案内されたこと、直後のオリエンテーションで好奇の視線にさらされたことも懐かしい思い出です。
そんな中、私に勇気を持って積極的に話しかけてくれた当時10代の同級生たちと教育や未来について語り合えたことは、私にとって大きな宝物となりました。
卒業して教壇の上や様々な場面で活躍する彼らとの現在も続く交流は、これからも私の人生を豊かにしてくれることでしょう。

2月に挑戦した大学院入試の結果が不合格であったため、教育機関での学びはここで一度区切りをつけ、少しおろそかにしてしまっていた社業に注力し、印刷業界団体活動と共に社会人としての活動に専念しますが、学びはどの場面でも一生続くものです。
これからも貪欲に学び続けていくことを誓います。
あらゆる老化・劣化に抵抗して長く生きることに価値があることを示し続けたいと思います。
そして、正しい教育こそが未来を明るくするものであるという信念はこの5年間でさらに揺るぎないものとなりましたので、何らかの形で役立てるよう精進し続けます。

と、この文章を書き始めた頃は思っていたのですが、学びの場を失うとますますそれを欲するようになりましたし、一人でストイックに学問に向き合うタイプではありませんので、もう一度だけ大学院入試に挑戦したいと思うようになりました。
春からは社業に注力しながら、大学院入試の準備をしたいと思っています。

拙い学生生活日記を今までお読みいただきありがとうごさいました。
「読んでるよ」と声をかけてくださった方のお顔を思いながら、この最終回を書きました。
本当にありがとうございました。

関西学院大学教育学部を本日卒業する 武部 健也

14年前

今日は親父の命日。
親父もおふくろも、そして二人の兄貴もあの世から僕を見てるんだろうなぁ。
見てるはず。知らんけど。
楽しい人生を送っていて、それほど寂しさは感じないけど、やっぱりたまには寂しがってみようと思う。
親父とはよく一緒に酒を飲んだ。
よく色々な話をした。
でも仕事を一緒にするようになったのに、仕事の話はそれほどしなかった。
親父は今の僕の年齢より上になってから、新しいソフトウェアの講習を受けた。
別の講習を受けていた僕の横で受けていた。
子どもに教えるような口調の講師から教わっていた。
後に屈辱的だったと言っていた。
いつまでも学ぶ姿勢が大切であると、身をもって教えてくれていたのかもしれない。
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線香代わりのタバコに火をつける時、口の中に広がる不快感。
ベビースモーカーだったことが信じられない。
今から約15年前に喫煙を休止したが、それまではセブンスターを愛し、一日に二箱以上吸っていた。
親父が愛し続けたのはロングピースだった。
親父のことを書く時の一人称は「僕」でよい気がしている。
親父に会いたくなった。

学生生活日記17

昨日、卒業論文を提出してきました。テーマは「高等教育行政に関する研究」です。
リカレント教育を実践する者として、1986年に入学した関西学院大学社会学部と2018年に入学した関西学院大学教育学部の間に感じた学生の質の劣化や、新規卒業者と社会とのミスマッチが、高等教育の現状に起因すると考え、高等教育の変遷と我が国の国際競争力の低下との関連性等について書きました。
書き進むうちに中等教育時の動機付けの重要性を再認識することになるのですが・・・。
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この卒業論文の単位が認定されれば5年間の大学生生活を終えることになります。
関西学院大学教育学部に入学しようとした動機は、教員を取り巻く環境が悪化する中で、教員が理想の教育を実践できるような環境を整えることに役立ちたいと願い、教育学を学ぶためでした。
特に人生設計において最も重要な時期と言える中等教育時代に重きをおいて教育行政・教育制度・学校経営等について学び、卒業研究もそれらのことについて取り組む予定でした。
しかしながら、32年ぶりに入学した母校関西学院大学の質の劣化に驚愕し、卒業研究のテーマを高等教育の現状に変更したのです。
なかなか執筆に取り組めない日々が続き、軽いスランプに陥ってしまったのですが、執筆し始めると18歳人口の減少や、日本の大学の世界的順位の下落、日本の国際経済競争力の衰退、日本の論文の被引用件数の減少等、悲観的なデータばかりが目に付き、さらに深いスランプに陥ってしまいました。
しかし、研究というものは、それら悲観的な事象をどう好転させるかというところに意義があるという考えに至り、何とか11月中旬には約24,000字の卒業論文をほぼ書き終えることができました。
内容的には満足していませんが、ポンコツの脳みそを再起動させて、研究の手順や論文の執筆方法を学び直すことができたことは大きな収穫であったと思います。
今後も何らかの形で学び続け、世の中のお役に立てる人間へ成長したいと思います。
卒業論文執筆完了のご報告という久しぶりの学生生活日記でした。
関西学院大学教育学部5年生 武部 健也