2006年11月アーカイブ

歴史

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大和出版印刷という会社は1948年に創業し、たくさんの活字職人を抱えた文字組を得意とする印刷会社でした。
私が高校2年生の夏、当時社長だった私の祖父から会社にアルバイトに来るよう言われました。その仕事内容は解版(改版ではありません)というもので、印刷が終わってその使命を終えた活版を崩すというものでした。しかし正しい解版とは活字を元の棚に戻したり、材質の違うものを仕分けしたり、再利用可能か否かを判断したりするものでしたが、私の行っていたそれはゴミの分別に過ぎませんでした。材質の違うものを仕分けるだけで、再利用については全く考慮されていませんでした。つまり活字を捨てるという作業だったのです。活字職人の隣で・・・。
私は作業の内容についての説明は受けていましたが、その目的については知らされていませんでした。しかし、しばらく作業をしているとそのことに気付き、職人の隣でこの作業をすることに大変な罪悪感を持ち始め、重い版を運び誰もいない工場の片隅で作業をするようになっていました。作業をしていると70歳近い職人が私のところにやってきて、どうしてこんな所で作業しているのかと尋ねてきました。私が感じていることを話すと、その職人はニッコリと笑って「なんや、そんなこと気にしとったんか。わしはこの仕事50年ちこうやっとうけど、寂しい思わへん。気にせんと真ん中の広いとこでやり。もう活字の時代やないことくらいみんな分かっとうから。せやけど、あんたらの時代はおんなじことで50年飯食われへんかもしれんで。何が幸せなんか分からへんもんや。」
それから7年後に私が入社した時は会社のコンピュータシステムが第二世代になる時でした。数百年の歴史を持ち、35年会社を支えてきた活字を捨てて選んだコンピュータシステムはわずか7年でその限界を迎え全く別のシステムに道を譲ることになったのです。

先日大連へ向かう飛行機の中でこんなことを思い出していました。

私は今大連にいます。

路面電車.jpg

晩飯は犬肉の鍋です。私は犬が好きなので抵抗がありましたが、何事も経験だと思い挑戦しました。

犬鍋.jpg

今回で大連は3回目ですが、今回の目的は会社設立のためです。

ビル.jpg

このビルの中にこのたび

看板.jpg

こんな会社を設立しました。
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私は日本の印刷会社の四代目社長です。
このたび日本に株式会社dignetを設立し、今まで培ってきたデジタル技術・情報処理技術を正しくビジネスとしようとしています。dignetの事業の第一歩が大連迪拓信息技術有限公司の設立です。縁あって大連DTPに出会い、縁あって皆さんと一緒に仕事をすることになりましたが、どうしてこの会社の設立に至ったかを説明しておきましょう。

私はコンピュータ組版システムのオペレータとして入社し、以来社長就任まで13年間そのセクションに身を置き続けてまいりました。ですからプリプレス・デジタルへの愛情を深く持っています。その私が大連への進出を決意した理由はまず、価格面であることは間違いありません。お客様に対して安価なものを提供するというのは大変重要なサービスです。しかし、大和出版印刷は価格競争の中に身を置くことを避けてやってきました。それはそれ以上のサービスがあると自負してきたからでしょう。品質であったり、短納期であったり、印刷以外のサービス・便利さだったり、お客様へ対する忠誠心であったと思います。しかし、それだけではお客様の満足は得られなくなってきました。やはり安価であることはもはや当たり前でそれ以外の付加価値を要求されているのです。ですから一歩目は同じものであれば少しでも安くものづくりをするという基本をしっかり根付かせようと考えています。これがこの会社設立の理由の一つです。
この会社を成功させるためには皆さんは今の日本でのDTPと同じレベルの品質のものを作るスキルをまずは身に付けてください。一流のメーカーになるためには一流のユーザーになることが大切です。普段から印刷物をプロの目で見る癖を付け、たくさんの良い印刷物を見る・読む癖を付けてください。その次のステップはスピードです。品質を上げるためにはスピードが落ちてしまうものだと思います。当初はそれを人数でカバーしてもらってかまわないと思いますが、各人の仕事処理能力を上げ、仕事の質・量を上げていってもらいたいと思います。
しかしこれがこの会社設立の最大の理由ではありません。決定打は皆さんの「目」です。いろいろな会社を見学させてもらったり、皆さんが通われていた学校にも訪問させていただき、そのときに見た皆さんの「目」に惚れて大連での会社設立の決意をしました。必ずやこの人たちはもっと上を目指して努力し続けるに違いないと強く感じたのです。美しい日本語組版技術を手に入れた後には、それを効率よく早くする努力をするだろうし、その後にはデータの有効活用、デジタルコンテンツ制作やプログラム作成までも視野に入ってくるのはそう遠くないと思っています。私は日本人ですし、印刷屋の息子として生まれ、日本語組版に携わってきましたから日本での日本語DTPには愛情も未練もあり、空洞化させてはならないと思っていますが、そこを守るために皆さんの目を見なかったふりをすることはできませんでした。これが最大の理由です。
もちろんこんな夢を見させてくれるきっかけになった飯嶋さん、尹さんとの出会いがなければ何もなかったでしょう。私が全幅の信頼を置くお二人を信頼ください。
私が信頼を置く人が信頼する人を私も信頼します。皆さんの身近にいつもいる尹さん、程君、白雪ちゃんに信頼される人になってください。

このたび誕生したこの会社を風通しのよい小回りの利くいい会社にしましょう。大連で一番の会社に。「あの会社に入りたい」と多くの人に思われる会社にしましょう。
皆さんにお会いできたことを心から幸せに思っています。

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昨夜の開業式で社員のみんなにこう話しました。

一年

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このブログを始めて一年が経ちました。今日は私の39回目の誕生日です。本当は直接会うか電話でおふくろに伝えたいのですが、照れくさいのでここで言わせてもらいます。「39年前産んでくれてありがとう。兄貴のように親より早く死ぬという親不孝をしないように、あなたにもらった命を大切にしていきます。少なくとも私が50代に突入するまではしっかり見届けてください。」
パソコンを触れないおふくろがこれを読むことは無いのですが・・・。

で、このブログはこっそり始めたのですが、意外に多くの方々に読んでいただいているようで、恥ずかしい思いもあるのですが、やはり嬉しいものです。
先日あるお客様から「ブログは書くのが楽しいのか?コメント等の反応が楽しいのか?」と尋ねられました。私は「気恥ずかしい思いが強いですが、徐々に書くことが楽しくなってきました。ただネタに困ることもあり、それは辛いです。」と答えました。一応「社長のブログ」なんてことになっていますから、とんでもないことは書けませんので。「裏ブログ」を開設すれば?というご意見もいただきましたが、それはちょっと。

とにかくこれからも気軽に続けていきたいと思いますので、拙いこのブログにお付き合いくださいませ。
この一行は「読んでるよ」と声を掛けてくださった皆様お一人お一人のお顔を思い浮かべながら書きました。

さ、良い40歳を迎えるために30代最後の一年を頑張ろう!

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