私をあまりよく知らない人たちへ

私はかなり口うるさい人間です。失敗の多い人間ですが、同じ失敗を繰り返すことがとても嫌いです。情に厚い反面恐ろしく残酷な一面もあります。
お前がどんな人間かなんて興味ないわと言われればそれまでですが・・・。
先日ある人から「あなたの言っていることは時間が経ってから分かる。」と言われました。
そうなんです。私は難しいことは言っていないのです。言えないのです。立場上人に色々なことを要求します。自分がしないこと・できないことも要求することがあります。その際は内容を十分吟味してから行いますので、無理難題を言うこともないはずなのです。ただそれだけ準備してから伝えますし、殆どの場合相手が納得せざるを得ない状況であり内容の上、私の言葉は大変乱暴でありますので、本意が伝わりにくい状況がよくあるのです。
それを自覚しているのだったらもう少し気長に待ったり、柔らかい言葉で伝えればいいのでしょうが、理解して実践してくれる人も多いですし、自分では何度も同じ事を伝え十分に待っているつもりですからしょうがありません。伝わらなかった場合は完全にやりきった感があり、悔いは残りません。でも次に同じような状況を迎えることがあれば少しでも上手に伝えるようにしようと思っています。
最近も同じようなことがありました。
昨日墓参しじいさん・親父・兄貴に尋ねましたが、今回は私が正しいと答えてくれました。
少々の重荷なら背負っていく自信も覚悟もあるのですが、後ろ向きに引っ張る力はあっさり切り捨てて前進していきたいと思います。
冒頭の言葉、後で理解されてもしょうがないんだけどなぁ・・・。

私をよく知る人たちへ

は?武部がボランティア?柄じゃない!
ごもっとも。武部とボランティアは相当遠いところにある。間違いない。
そもそも牛タンに誘われてのこのこ仙台へ行くことからこの話は始まる。
尊敬する仙台の同業の社長から牛タンを食いに仙台に来いと。その際阪神淡路大震災の経験を少し話せとのこと。気軽に引き受けると東北地区の印刷業界のイベントの特別講演会。しかも90分。これには困った。しかし引き受けてしまったし東北の皆さんに直接会える機会、久しぶりに仙台に行かせてもらおうと思った。
同時に支援している学生ボランティアがその時期に現地入りしているので、合流して一緒に活動させてもらおうという感じ。
しかも学生たちは5月に既に一度気仙沼入りしていてボランティアセンターの方々との関係も築いているし、街の様子や宿泊する公会堂のことも下見済み。つまりお膳立てしてもらい私でも邪魔にならないことを確認してもらっていたので大変行きやすい状態にあったのである。
ただもともと人の役に立ちたいという思いもあったし、16年前には随分心配していただき、物心に渡り励ましていただいた。そのことへの恩返しもしたいと思っていたし、動けるうちに動きたい。また「やる」「やらない」で悩んだら「やる」をとろうと常に思っているので、今回の行動は実はそれほど意外なことではない。
やっぱり行ってよかった。
子どもたち・お年寄り・仮設住宅で暮らす方々と直接触れ合うこともできたし、現地で活動されている方々の生の声を聞くこともできたので、神戸からでも役立てる可能性を感じられた。
またチャンスを作って現地へ行きたいと思う。
子どもたちの笑顔、街の人々の力強さに触れ、勇気を共有したい。
どう?やっぱりらしくない?
でも、私でもこう感じるのだからあなたならもっと・・・。

気仙沼最後の夜に

日記のようにこのブログを更新してきましたが、最後の夜となりました。
被災地の惨状に目を覆うことと、被災者の皆さんの力強さに驚かされることの繰り返しでしたが、常に流れていたのは「優しさ」でした。
あらゆる瞬間に「優しさ」がありました。
それは「思いやり」でも「感謝」でもありますし、「もどかしさ」や「押し付けがましさ」や「配慮に欠ける」部分もありました。
でも全ては「優しさ」に起因するものなのです。
しっかりと方向・方針・方法を示す人がいて皆を納得させることができればとても大きな力になることが分かりました。
人間の強さ、結束力の強さを学びました。
×0(掛けるゼロ)の怖さを知りました。
神戸に帰ってからもできる限りのことをしたいと思います。
この日記替わりのブログで一人でも多くの人が被災地への思いを深めてくれたらと思います。
この日記替わりのブログを懐かしい思い出として復興遂げた街で読み返す日が近いことを祈ります。
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欲求

昨日は朝から近くの保育所に避難されているお年寄りの皆さんとのぬりえ。
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ここには5月に筑波大学の学生2人が来ていたので覚えていただいていました。
皆さんすぐに楽しくお話ながらぬりえしてくれて本当に温かい時間が流れました。
子どもたちとは少し違う笑いの絶えない時間を過ごすことができました。
次に来る日を楽しみにしてくださっている皆さんに学生たちは力強く再会を約束していました。
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午後からは画像のアーカイブ化を進めている皆さんのお手伝いとしてスキャニングを行いました。胸が痛む画像ばかりでしたが、記録して後世に伝えることは重要なことです。色々課題は多いようですが、技術的には我々が充分にお役に立てそうでしたので、今後もお手伝いさせていただきたいと思います。
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「役立ち」あらためて考えさせられます。

4か月も経ったのに

昨日は朝少し作業してから時間があったので、南三陸町へ。
テレビでも何度も見たが、惨状に言葉を失った。
あまりのことにそこにいた5人全員が言葉を失った。
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午後は気仙沼市内の中学校のグラウンドに建てられた仮設住宅へ花や飲み物を配りながら、今週末に集会所で行うぬりえワークショップの宣伝活動を。
仮設住宅に暮らす方たちと言葉を交わしていると我々が労われる。
感謝の言葉がこんなに力になるなんて40年以上生きてきたのに知らなかった。

また来てね!

筑波大学・青山学院大学の学生といざ出発。
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あとは写真が語ってくれるでしょう。
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学校を後にする車を走って追いかけてくれたあやかちゃん。
おっちゃん、涙が出そうやったで。

気仙沼

昨日は気仙沼の街を一通り見て、宿泊させていただく公会堂へ。今​日は今からぬりえ日本の活動に行きます。感じる風、匂いはやはり​来ないと分からないものですね。
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案の定

やっぱりな。
結局仙台のみんなに教わった、力をもらった。
こうなると思ったわ。
おい、神戸のみんな、頑張ろうぜ!
もっと真面目に生きようぜ!
もっと真面目に人を、街を愛そうぜ!
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胸が痛く・・・

何とか無事に終えて美味しい牛タンとお酒をご馳走になりました。でも午後に連れて行ってもらった塩竃の被災地の状況に絶句・・・。沿岸地域の状況は目を覆いたくなるものがあります。仙台市中心部の地震に対する強さにも驚かされましたが・・・。

仙台に到着!

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皆に見送られて出発。
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ナガシマスパーランドには一度行きたいなぁと思いつつ。
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浜名湖でうな重の昼食。
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出発して7時間弱で六本木ヒルズが見える辺りへ。
意外に早く大宮へ着いて天ぷらとビールの夕食。(写真は撮ったけど食い物の写真ばかりのせるのも・・・。)
今日は気仙沼で一緒にボランティア活動をする筑波大学の学生たちと昼食に寿司を食い、(写真は撮ったけど食い物の写真ばかりのせるのも・・・。)彼らに車を託して新幹線で仙台へ。
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明日は朝から印刷業界の会合で特別講演会。この私が講師。しかも阪神淡路大震災からの復興についてという重いテーマで90分。生まれて初めて感じる大きなプレッシャー。いやぁこんな気持ち初めて。でも精一杯頑張るのみだ!少しでも東北の人を元気付けられたら・・・。
そうや、俺が指名されたっちゅうことは知的な話より勢いっちゅうことや!