昨日から3ヶ月ぶりの気仙沼入り。
今日は午前中市内を回る。
あれから7ヶ月が経つというのに…。
るかちゃんたちが通っていた南気仙沼小学校の校庭は今は廃車置場に。
ただただ言葉を失う。
鹿折小学校では複幸祈念まつりが行われており、地域の皆さんの活気を感じた。
午後からは五右衛門ヶ原の仮設住宅にある集会所で足湯ボランティアの皆さんとぬりえ日本とのコラボレーションワークショップ。
元気いっぱいの子どもたち、家を流されて先が見えないと嘆きつつ、家があった場所にヘメロカリスの花が咲いたと笑顔を見せてくれるばあちゃん、その花言葉「憂いを忘れる」ということに感じるものがあると言う。
晩は宿泊させていただいている公会堂の近所の方々が、そば・天ぷら・さんまをボランティアの人たちにふるまう夕食会に便乗させていただいた。
現在、満腹のため一歩も動けない状態。ごちそうさまでした。
埃なき誇り
印刷の現場には紙粉や乾燥促進用のパウダーなどが飛散しがちです。もちろん集塵機を設置したり調温調湿に適した換気器を導入したりして対策は講じるのですが、どうしても工場内は汚れがちです。しかし微細な網点で表現する印刷にはその汚れは大敵いや命取りになるものです。
当社の工場です。
分かりにくいかもしれませんが、大変美しいです。
手前味噌ですが大変美しいです。くどいようですが大変美しいです。
以前はそう言い切れませんでしたが、現在のスタッフは機械も機械周辺も大変美しく保ち、良い環境の中で良い仕事をしようとする意識が高いので言い切れるようになりました。大変美しいです。
しかし上には上がいるようです。来週スタッフ2名が、その翌週には私ともう一人のスタッフが新潟県にある日本一美しい印刷工場と言われる印刷会社の見学に行く予定です。先日その会社の社長と話す機会があり、印刷業界の常識では考えられないような取り組みを自信満々に語られる姿に羨ましさを覚えましたが、いつか超えてみせるとの気概を持って見学させてもらうことにしました。当社のスタッフたちにも良い刺激となることでしょう。
そうそう、その前に明日から気仙沼に行ってきます。7月に一緒にぬり絵をしたるかちゃん、あやかちゃん、きららちゃん達は元気にしてるかなぁ・・・。楽しみです。
なので
「わぁ(は、)」で始まる言葉が気になっていました。
これ分かりますか?
例えば「あなたは昨日何をしていましたか?」という問いに対して「わぁ(は、)一日中寝てました。」と「私」を省いたり、「昨日の夕食は何でしたか?」という問いに対して「わぁ(は、)ハンバーグでした。」と「昨日の夕食」を省くというものです。主語を省いてしまうという大胆さには驚くばかりです。
「冷奴の方お待たせしました。」とか「生ビールになります。」とか「10,000円からでよろしかったですか?」等も気になっていて使われる度に若い店員に注意するおっさんになっていたのですが、最近「なので」がとても気になりだしました。一旦切られた文章が「なので」で始まるのが気になりだしたのです。
完全な間違いではないかもしれませんが、履歴書に「○○と考えておりました。なので、私は・・・」と書かれた文字を見た時、耳で聞いていて気になっていた気持ちがさらに大きくなってしまいました。
どうですか?気になりませんか?
一人で気にしているのも嫌だったので、一人でも多くの人を巻き添えにしたかったのです。
これを読んだ人は「なので」が気になり始めますよぉ!
(と書いてからこのサイト(バイト敬語)を見たら100%間違いとは言い切れないものもあるようですね。
言葉は時代によって変化するものですから、将来的には正しい用いられ方と認められるかもしれません。
ただ私はとても違和感を覚えます。古い人間なのかなぁ・・・。)
趣味は?
と聞かれると困る。
一応付き合えるよう何でも手を付けてきた。
ゴルフ・フットサル・草野球・麻雀・酒・釣り・・・。
話も合わせられるよう、映画・音楽・お笑い等の文化や社会・政治への浅くても広い知識を持つよう努めてきた。
しかし全てにおいて深くのめり込めないので趣味や凝っていると言えるものは無いに等しい。
聞かれると「競馬」と答えているが、馬券も買っていないのに録画してでも見るくらいだから趣味と呼んでもいいかと思っている程度なので、単なるギャンブル好きに思われているだけかもしれない。
一昨日ようやく趣味にしてみようかと思うものに出会った。
「散歩」である。「トレッキング」でも「ウォーキング」でもなく「散歩」。
先々週の週末から何となく始めてみたのだが、一昨日、午前中から動き出してブラブラと少し早歩き程度で散歩を始めて「趣味にしよう」と思った。
散歩はいい。気楽でいい。
ジョギングをしようとウェアやシューズはもちろんあらゆる小物も揃えてみたものの、着てみるとこれは本格的でモタモタ・ヘロヘロ走るにはあまりにも格好が良すぎた。で、断念。
山歩きもやってはみたものの、目的地まで登らず途中で引き返すなんて格好悪いので、結局無理をして登り切ったため、完全に億劫になってしまった。
ところが散歩ときたら自分が行きたい所まで行って引き返せばいい。神戸では北へ向かうと上り坂なので体力があるときは北へ、疲れてくると東西へ、もっと疲れると南へ向かえばいい。山と違って上り下りは自分で選択できる。
一昨日、MP3プレイヤーを付けて歩き始めたが、5分で外した。せっかくだ、音も楽しまなければ。ツクツクボウシの鳴き声や工事の音、ピアノを練習する音、犬の声。
考え事をしながら歩いているが、リュックに短パン袖を捲ったTシャツ姿に似合うのはおむすびくらいか。
神社を見つけたら必ず賽銭をして柏手を打つのが何となく決まってしまった流儀。
推定年齢80歳のお客さんが通りを無事に渡るまで睨みつけるように見送る推定年齢80歳の散髪屋のおやじさんの愛情に触れた温もり。
駐車場に止まっている2台の車のナンバーが息子と娘の誕生日と同じである偶然に出会った喜び。とんでもなく古くボロく汚い家があの大震災にも耐えた驚き。
早く走れば見逃してしまうもの、山を歩けば見ることができないものでも街を歩けばたくさん見ることができる。そして色々なことを考えることができる。
これはもしかすると趣味になるかもしれない。
「趣味は散歩」と断言できる日が来るのか?それとも昨日買った歩きやすそうな靴はきれいなまま次の季節を迎えてしまうのか・・・。
切ない声
昨日23:48に私が録画した動画。場所は三宮の少し東。
「俺の心の叫びを聞いてくれぇ、ミンミー」
「何年も日の当たらないところで頑張ってきたのにぃ、ミンミー」
「どこかに素敵な女性はおらんのかぁ、ミンミー」
「台風の中も耐えてきたのにぃ、ミンミー」
「山の中でずっと頑張ってきたけどもうあかん、ミンミー」
「俺のツレはみんな彼女できたのにぃ、ミンミー」
「俺の人生はこんな終わり方するんかぁ、ミンミー」
「お~い誰かぁ~、ミンミー」
「でも最後まで諦めへんぞぉ、ミンミー」
再起動
少し前のどこかの省庁じゃありませんが、実は弊社は前期に人心一新しました。
当たり前すぎる当たり前ですが、企業はやはり人です。本当に当たり前ですが人です。
当駄ブログで弊社の設備の自慢はよくしてきましたが、今回は社員を自慢したいと思います。
弊社の事業の軸は印刷です。その中でも枚葉オフセット印刷というものは輪転印刷機の小ロット化対応や各種プリンタの高品質化・高速化に板挟みの状態です。しかし枚葉印刷には両方にない超高品質という可能性があります。同時にできるだけ環境負荷を軽減したエコロジー印刷というものにも可能性があります。ですから我々はそのどちらにも高次元で対応すべく努力しています。それを実現する核になるスタッフがこの会社に集結してくれました。まだまだ骨組みだけですが、しっかりとした筋肉をつけていきたいと思います。
もちろん高品質印刷は印刷機上だけでは実現できません。高品質用データ作成も大変重要な要素です。その辺りには以前より頼れるプロの集団で対応していますので安心です。
オフセット印刷だけではなく活版印刷・大判UVインクジェットプリンタ・オンデマンド印刷、さらには以前から注力しています電子書籍・プログラム作成・データベース構築等のdigital関連事業にも引き続き取り組んでいきますので今期も「印刷もできる印刷会社」を念頭において歩んでいきます。
また今期はCI・ブランディングを含めプランニングやデザイン等のソフト面の強化にも既に着手しておりますので、さらにパワーアップします。
「情報のワンストップサービス」がいよいよ実現します。
全てにおいて品質にこだわるモノづくりのプロの集団になりました。
私の理想とする姿に確実に大きな前進を遂げました。
今、私の周りにいる社員は本当に素晴らしいです。大いに胸を張ることができます。
今日は弊社の元日。目一杯アピールしてみました。
さあ、野田内閣と共に弊社の64期が始まります。
温故知新
今のdocomoのC.M.響くなぁ。渡辺謙のギターとセリフかっこええなぁ。
先週の日曜日急に思い立って散歩してみた。
三宮からブラブラと。
ボーっと。
目的地もなくただブラブラとボーっと。
東へ向かっていた。
午後だったので太陽と反対方面に歩きたかったのだろう。
東へボーっと歩いた。
気が付けば王子公園辺り。
小学2年生の終わりに須磨へ引っ越す前に友だちと王子動物園に来たなぁ。
みんな元気かなぁ。俺はほとんどの奴のフルネーム覚えてる。みんなええおっさんやろうなぁ。死んだ奴はおらんやろうなぁ。
ここまで来たらもう少し東へ歩いて生まれ育ったまちへ行くことにした。
桜の季節は名所になる坂道も今は緑のトンネルの生活道路。あんなに広いと思っていた五毛天神も驚くほどこじんまり。こっちも同じように感じた護国神社、体だけはデカくなったようだ。篠原公園の遊具はあの頃のまま、胸が熱くなる。
走りまわって熱くなった体を冷やしてくれたベンチ。数え切れないくらい渡った橋。忍び込んでバッタを追いかけた水道局の施設。木の根をジャンプ台にして兄貴たちや近所の兄ちゃん連中と遊んだ平五郎、お供えのベビーカステラをいただいてしまってごめんなさい。
生まれた時家族で住んでいた文化住宅前、今でもあることが嬉しい。明るく良い子はお空を見上げすくすく伸びる「やさしく、つよく、ほがらかに」緑の摩耶山楽しいな摩耶幼稚園楽しいな、今は駐車場。小学2年まで通った摩耶小学校、クスノキは相変わらずでけぇ。水道筋辺りで一番好きな場所、串カツ・帽子・レコード、素晴らしい。
もちろん色々悩みは多い。当然。悩みのない大人なんて存在しないだろう。
でも落ち込んでいる訳でも悲観的になっている訳でもない。むしろその逆。
そんな中少し深く考えて悩んでいる雰囲気を味わいたいと思い、昔住んでいたところを散策したり墓参したりしている。
しかし目の前にはやるべきこと、やりたいことが山ほどあるので前向きな気持になってしまう。決してのんきに楽観的になっている訳ではないし、難しいこともたくさんあるのだがワクワクしてしまう。
眉間に深くシワを刻み渋味のある男になりたいのだが、赤ん坊のようにツルツルの眉間。
振り返る過去。悪いことや間違ったことはたくさんしてきた。人一倍してきた。でも大きく道を踏み外さなかったし、殊に会社の経営者になってからはブレずに正しいことを貫いてきたことだけは胸を張れる。性別・年齢・国籍・付き合いの長さや関係などにとらわれず是々非々を貫いてきたことにも胸を張れる。
今日は弊社の大晦日。目一杯振り返ってみた。
さ、菅内閣と共に弊社の63期が終わる。
ミチオシエ
昨日は弊社創業者である祖父の23回目の命日だったので墓参りに行ってきた。
今期(弊社は8月決算)は(も?)色々あったのでその報告と来期を見守ってくれるようお願いする意味を込めて墓へ向かった。
実は昨日の午後涼しい部屋で墓参しようと思った直後、外の猛烈に暑そうな景色を見た瞬間やはり墓参は止めて会社の応接室にある写真に手を合わせてお茶を濁そうと思った。しかしそんなことを許してくれるじいさんではあるまい、きっと恐ろしいバチをあててくるに違いないことに気付きやはり墓参してくることにした。
危ない危ない。
以前にも書いたような記憶があるがやはり今回もいた。
一匹だけいた。
私はこいつにも会いにきているような気がする。
キャリア教育
それにしても打たれ弱い人が多くなったと思いませんか?若者もそれなりの年齢の人も男性も女性も。
私をよくビンタしてくれたあの先生、少しかわすと手の甲で往復ビンタしてくれたあの先生、一発で脳震盪を起こしそうになるグローブみたいな手をしたあの先生、悪かった私を叱ってくれてありがとうございました。体罰を勧めるものでも当時を恨んで嫌味を言っている訳でもなく純粋に感謝しています。
言うことを聞かない私の部屋に無言で入ってきて、全巻揃っていた「ドカベン」「マカロニほうれん荘」「ブラックジャック」を黙々とガムテープでグルグル巻にして捨ててくれた親父、私にとって生涯初となった拳での顔面全力パンチを入れてくれた先輩、本当にありがとうございました。
打たれ強さってそういうことじゃないのですが、やはり躾や教育ってものの大切さを痛感します。おまえが言うなって言われそうですが、私の周りには悪いことをしっかり正してくれる人たちがいました。言いつけを守っていますと胸を張って言えないところもありますが、本当に感謝しています。
キャリア教育の重要さをしみじみ感じます。社会に出ている人にこんなことを言うのは失礼に当たるのではないかと思うほど、恐ろしく幼稚で基本的なことを言わなければならない場面が多くあります。そういう人に限って打たれ弱いのです。困ったものです。
学ぶこと、働くことの動機付けができていないので大変脆いのです。学校だけではなく地域社会が一体となってキャリア教育を充実させないとこの国の将来には光が射さないと思います。少し話が大きくなってしまいましたが、心底そう思っていますので社業と両立しながら役立てればと考えています。
そろそろそんなことを考える年齢になってきたのかなぁ・・・。
人を信じたいのだが・・・
日本の経営者は性善説のお人よしが多いと言われたり、性善説に基づく経営は過ちであるように論ぜられることが多い。
確かにお人よしだけで経営は成り立たないだろうが、性善説に基づき人を信じる事も大切なのではないかと思う。いや、正しくは思っていた。
色々大変だ。
「新型うつ」で検索。皆さんご注意を!
俺じゃないよ!ん?俺?大丈夫だと思うけどなぁ・・・。
「まさか」ってやっぱりあるんだ。想定していたことであったから「まさか」ってほどのことじゃないけど、実際に起こると本当に悲しいもんだ。
「裏切り」でも「信じる」。残念ながら信じきることができない人間になってしまいそう・・・。既になってしまってる?そんなの悲しいじゃないか。