僕のおじいちゃん

僕のおじいちゃんは機械工学を学んでいた。

戦時中高校教員をしていた。

戦後印刷会社を興した。

7人の子がいた。

それ以外にいたかは知らない。

孫は16人。

でも後半の孫の名前は知らなかった。

本当は知っていたかもしれないけど。

僕はとても可愛がってもらった。

よく切手を買いに二人で行った。

待ち合わせの三ノ宮駅にはおじいちゃんがいつも先に着いていた。

いつも誰かとしゃべっていた。

しゃべる相手に出会わなかった時にはキヨスクのおばちゃんとしゃべっていた。

話しているのではなくしゃべっていた。

新しい切手は兄貴二人分も含めて三セット週刊誌に挟んで親父に持ち帰らせていた。

必ず手紙が添えられていた。

会うと切手屋さんの前に必ず飯を食いに行った。

一時は鰻にハマり鰻屋さんのハシゴ。

とんかつにハマった時はとんかつ屋さんのハシゴ。

一軒目のオーダーはビールとロースカツ定食二つとヒレカツ定食一つ。

二軒目のオーダーはビールとロースカツ単品とロースカツ定食とヒレカツ定食。

おじいちゃんと小学生の僕の二人。

私立中学校の入試に合格した時は寿司を食いに連れて行ってくれた。

ウニ・トロ・蒸し穴の繰り返しでおじいちゃんの財布は空になった。

近くの本屋さんの店長に金を借りてプレゼントにメタルテープをケースで買ってくれた。

笑っていたが別れて僕が家に着く前に「あいつどれだけ食うねん」とおふくろにクレームの電話をしていた。

血液型を聞くと「O型以外」と言っていた。

僕のようなアホではないとO型の僕に言っていた。

高校生の時に一緒に北海道に行った。

運転している社員の方に「次の次の信号を右に曲がれ」と言うとそこには酒屋があった。

大学生になってからはよく「養老乃瀧」に連れて行ってもらった。

お酒の好きな人だった。

現金は一円もくれなかった。

美味園のワンタンとタイコーのオーレが好きだった。

人に飲み食いさせるのが好きだった。

病床で「お前は大和出版印刷に入るな」と言った。

でもね僕がいたから今もおじいちゃんが作った会社があるんじゃない?

今はあなたのひ孫が社長をしていますよ。

見守ってあげてください。

ほんまおもろい人やった。

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