41歳の春

喫煙を休止して6ヶ月が経った。
様々な変化が見られる。寝起きがいい。咳き込むこともなくなり、家族の煙たがる顔を見なくてもすむ。血管の収縮の関係なのか二日酔いの気持ち悪さがほとんどない。その代わり飲んでる時の酒の回りが大変早くなった。先日も風邪薬と一緒に飲んだのも良くなかったようで、どこかの大臣以上にろれつが回らなくなった。
店・乗り物では禁煙席の方が多いため、何かと都合がいい。禁煙席どころか、店内完全禁煙の店も少なくないので、行けなかった美味い店にも行けるようになった。これは大変結構なこと。しかし、最も顕著な変化は先述した全ての事柄からの延長線上にある体重の増加。これは大変。この6ヶ月で8kgも成長してしまった。
8kgも増えると歩くたびに膝がポクポク鳴るし、心臓はバクバク。これはマズい。大変マズいのだが食い物は総じて美味い。いやいや、これがマズい。
健康のためには減量、減量のためには喫煙再開?いやいや、それはない。
やっぱり運動をしなければならない。でも運動するにしても少し体重を落としてからにしないと良くないだろうと思っているので、一向に体重が落ちない現状では運動を始める訳にもいかない。
運動をしないから体重もなかなか落ちない。体重が落ちないから運動が始められない。
これは本当にマズい。いやいや食い物は美味い。体重を落とすためには喫煙再開?いや、だからそうじゃなくて運動。いやいや運動は体重が落ちてから・・・。
もう全く分からなくなってきたのだ。でもこれでいいのだ。いやいやこれではよくないのだ。賛成の反対なのだ。

5年

一昨日の晩飯何食ったっけ?
思い出せねぇや。
でも5年前の今日、2004年5月2日のことは顔に当たる風の感触もその匂いも覚えている。
早い。やっぱり早い。あれから5年。
少し前から私のPCのデスクトップには「伸也へ伝えること.doc」というファイルがある。一昨日の晩飯も忘れる男だから、何年先になるか分からないあの世での伸也との再会に備えて伝えることをメモしているのだ。
と言っても大したことは書いていない。何せ一行目は「あの年に無敗の三冠馬がデビューした」で、二行目は「あの中華料理屋の持ち帰り用の容器が変わった」だから。
でも、中国の大連に会社を立ち上げてみんなで一緒に頑張ってることや、長男・長女の大学入学についても書いている。最近では親父が死んだことや長男が就職したことについても書いている。
全てあの世から見えているのかもしれないが、もしかするとあちらで伝えてくれるのを待っているかもしれない。
そっか、もし私があちらへ行ったとき伝えられるのだとしたら、今まで書いてきたことは親父が伝えてくれるか・・・。
ま、どちらにしてもできるだけ多くの楽しいことを伝えることが出来るよう日々を充実させていくことにしよう。そして再会の日ができるだけ先になるよう。
それにしても仕事はやりにくくなった。
あの世からじいさん・親父・兄貴の三人に見張られていると思うと・・・。

あっという間の

気が付けば前回の更新から1ヶ月以上経っている。
「気が付けば」というのは嘘だな。心のどこかに長い間更新していないからそろそろ更新しなければという思いはあった。だから「気が付けば」は嘘。
「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」っていうフレーズを20歳前後の頃TVのCMで聞いて憧れていたけど、別に大統領のように働いていた訳ではない。王様のように遊んでいた訳でもないが。
この間親父の四十九日があったり、お客様に誉められたり叱られたり。大連に行ったり、大連から帰ってきたり。
他にも色々あったんだけど、何だかバタバタしてる間に桜が咲いて、散った。
やっぱり短くてももう少しマメに更新しないといけないな。自分でも何やって過ごしてきたか忘れてしまう。
何故かこれだけはハッキリ覚えている。
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やっぱりもう少しマメに更新しないといけない。この1ヶ月でハッキリ覚えているのがこれだけって・・・。

無いものねだりのケチ

大きな二重のパッチリした目とか、寡黙な渋さとか、目尻の深いしわとか、豊かな銀髪とか・・・。
とにかく私は無いものねだりをしてしまう。
という訳でパチもんの私はほんまもんを求めてしまう。ものとしてのほんまもんはもちろん好きなのだが、ほんまもんにこだわるほんまもんの人の方がさらに好きかもしれない。
親父もそうだったので、DNAに組み込まれているのかもしれないが私はケチと言われることが嫌いである。しかし人は自身に関して本当のことを言われるのを嫌う傾向があるそうなので、恐らく私は本質的にはケチなのだろう。
情報は発信するところに集まると考えているので、情報発信に関してはケチでないはずなのだが、よく考えると日常的によく行くお気に入りの中華料理店に関してはあまり人に教えない。やはりケチなのだ。
全国にチェーン展開しているオレンジ色の牛丼屋さんを私が美味いと書いても当たり前のことだし全国にたくさんの店があるので何の影響も無いが、20人ほどのキャパシティしかない隠れた名店のようなところになると、もしかするとなかなか入りにくくなってしまうかもしれない。だから教えない。いくらケチと罵られ挑発されても教えない。
ここも本当は教えたくない小さな名店だが、先日店主と話していると不景気で困るということだったし、ブログに書くことの許可も得たので少しだけ紹介しておこう。
偶然通りがかりに発見した神戸の二宮神社の近くにあるクリーニング屋さんなのだが、何せ素晴らしい。糊の利き具合といい出来上がりがとにかく素晴らしい。以前、私がその品質の高さに驚きの声をあげると、「真面目にやっていればこうなりますよ。」これまた素晴らしい。
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ケチな私がこっそりとお教えしよう。ここ。

あの頃のまま

私はタオルケットが好きで、冬でも毛布と体の間にはタオルケットが必要な体質である。そんな体質は医学的には認められないだろうが、私はそういう体質なのだ。
さらに幼いときからの習慣により、洗濯寸前のクタクタで少し湿度があり自分なりの柔らかい匂いがする状態を好んでいる。
洗濯直後の洗剤の香り、サラっとした肌触りは普通の人にとっては気持ちのよいものだろうが、私には心地よいものではない。それが新品になろうものならもっと違和感を持つのである。
先日何年も眠るときの私を心地よく包んでくれていたタオルケットにとうとう穴が開き、その役目を新品に譲らざるを得なくなった。
とは私の目線なのでタオルケットにとってはようやく御役御免だと安堵しているかもしれないが・・・。
という訳で最近の私は睡眠時間の割に疲れがとれていない。
路地の写真展か写真集を見たらしく、何事にも感化されやすい私の友人が路地の写真を撮るのにハマっているという。その話を聞いて私は生まれた頃に住んでいた灘区の光景を思い出し、小学校2年生まで歩き遊んでいた路地へ彼を連れて行った。舗装されてしまった部分もあったが概ねあの頃のままで、案内している間はとても懐かしく嬉しく興奮したひと時だった。
その頃住んでいた文化住宅の裏の路地に幼稚園児だった私が建てた墓標のことを思い出した。どこかの旅館でもらったインクの出なくなった青のボールペンに紙を貼り付けただけのものだったが、私が一所懸命作った墓標。
泣きながら別れを惜しんでいた私をからかってひらがなの「はか」の「は」に点をつけ「ばか」にした兄貴たち。とても悔しくさらに泣いたことを覚えている。
それは「タオルくんのばか」になってしまった。
そう、今から35年ほど前の私はタオルケットの墓を作っていたのだ。

本当に凄く格好いい!

先日久しぶりに映画を観に行ってきました。ウィル・スミス主演の「7つの贈り物」という映画です。
私はウィル・スミスが好きなのでよく彼の出演している映画をDVDで観るのですが、先日この映画のPRのために来日していた彼をテレビで見た時、彼のサービス精神の旺盛さやユーモアのセンスにますます彼のファンになってしまい映画館まで足を運んだのです。
ストーリーをバラしてしまうのは良くないでしょうから内容については一切触れませんが、彼が出演しているということだけでお薦めしてしまいます。
しかし、私が映画館に足を運んだ理由はウィル・スミス主演、気晴らしという二つだけではありません。もう一つ私を映画館に引き寄せたものがあります。
それは、
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これです。
これは当社にある最も古い印刷機で約50年前のものです。
今も当社では現役で働き続けているこの古い印刷機がなぜウィル・スミス主演の映画と関係があるのか不思議な気がしますが、この映画のTVCMにチラッとこの機械が映っていたように見えたのです。それを確認するためにも早くこの映画が観たかったという訳です。
私が今まで見たこの機械を触っている人は、今もこの機械を操作している当社の最高齢職人のミキさんと以前当社にお勤めだったナベさん、そしてこの映画の主演2人の計4人だけです。
ウィル・スミスと一緒かよ、う~ん・・・ミキさん、ナベさん、マジすげぇ!かっけぇ!

またまた、モタモタ

してる間に先に書かれてしまった。(書いていただいた。)
ここで私が書こうとしていたこと全てをお読みいただけます。
そういうことですので、私は次の段階に進んだときに書こうと思います。
ありがとうございます。>鞄・・・いやブログ職人!

20090209-20090211

親父が死んだ。今週月曜日の午後9時45分。自宅でおふくろだけに看取られて。
私はその時三宮で飲んでいた。実家に立ち寄ることも考えていたので、もしかしたら死に目に会えていたかもしれないが、前日の夜に爪を切ってしまったため会えなかった。
仕事では5年ほど前に一線を退いていたので特に大きく変わることなく今日も日々の仕事は続いている。でも今日も日々の仕事を続けさせてもらえているのは間違いなく親父のお陰だ。じいさんでなければ会社は興せなかっただろう。でも親父でなければ会社を育て守ることはできなかった。
会社での「武部」は私一人になってしまった。しかし何年も前から武部商店的な部分は消えていたので、心細さも何もない。頼りになる社員、信頼できる協力会社、愛してくださるお客様に恵まれ私は本当に幸せな社長だと思う。
一昨日の通夜、昨日の葬儀の間ずっとそのことを感じっぱなしだった。武部健也の人生だけは誰にも譲りたくないと思っている。そう思わせてくれた親父には本当に心から感謝している。
親父は11年前、前立腺ガンの胸椎転移により右足が麻痺した。それはそれほど重いものではなかったが、次第に外出しなくなりこの2年くらいは自宅でおふくろの介護を受ける日々になってしまった。おふくろは昔看護師をしていたこともあり、入浴に至るまでほぼ全てのことを一人でやり遂げた。ごくたまに私に愚痴をこぼすことがあったが、小さな体でやり遂げた。痴呆が進んでしまった親父からは感謝の言葉どころか罵る言葉、腕には無数の傷、大きく曲げられたメガネ、夜通し大きな声で喚かれて眠れぬ日々、手元にあるものを投げつけられ、食物は床に捨てられる。そんな目に遭いながらもやり遂げた。
2月9日の夜、おふくろは呼吸が停止した親父を必死で蘇生させようと頑張ったらしい。力を使いすぎて2時間経っても手が震えていた。肋骨を折ってしまったかもしれないとも言っていた。おふくろは必死で親父を生き返らせようとした。医師が来て宣告されるまで必死で生き返らせようとした。
親父はええかっこしいだったがその死に顔は決して凛々しく格好のいいものではなかった。しかし、口を半開きにし子どもの寝顔のように力が抜けて幸せそうに安心しきったそれは、紛れもなくおふくろの作品だった。見とれてしまった。いつまでも私の記憶に残り続ける最高傑作だった。

3年連続

もう既に仲間のブログ(革バカ万年筆バカ)で紹介されてしまいましたが、弊社が印刷品質を競うコンテストで3年連続金賞を受賞しました。奥ゆかしい私は昨年の金賞受賞についてこのブログでは書かなかったのですが、今年は一昨年に続いて自慢させていただきます。
今年の作品はこれ。
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12,000個以上の万年筆のペン先の上にイタリアの美しい赤の万年筆。デザイン等を評価されたことも嬉しいのですが、今年から審査員になった印刷バカに印刷品質を高く評価してもらったことがとても嬉しいです。
現在弊社の廊下。
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右から2006年審査員特別賞、2007~2009年金賞を受賞した作品を並べています。
本当は東京での授賞式の写真をお見せしようと思っていたのですが、撮影のために同行させた社員のセンスがゼロで、私がマイクを持って話している顔のアップばかりでした。
俺は演歌歌手ちゃうっちゅうねん!!
取り急ぎ受賞の自慢でした。
新潟のTさん!元気?あなたの顔を思いながら書きましたよ!また一緒に飲みましょう!

たまげた

今日の午後時間ができたので、厄除けに行ってきた。休日に行けばいいようなものだが、休日は人も多くそんな中での厄除けでは効果が薄いのではないかと思い、人出の少ないであろう平日の昼間を狙って行ったのだがなんのなんの。祈祷を1時間に1回にまとめてあることもあるだろうが、かなりの人の数。平日の1回でこの人数なら・・・と不謹慎な計算をし掛けたがやめて厳粛な儀式に臨んだ。
本厄の昨年は厄除けに自宅近くの神社に行ったのだが、今回はもう一つ西宮市にあるとても有名なところへ行った。
しかし、儀式が始まって驚いた。そう、とても驚いた。
入ってこられた方の頭髪はきれいに丸められており、手には数珠らしきものを持っておられる。え?頭のかぶりものは?あの白い紙のついた棒は?
儀式が始まるまで私は神社だと思っていたのだ。
こんな不謹慎な奴ですが、どうぞ厄を祓ってください、神様仏様。