ダーレンディトゥシンシィチーシュヨーシェンゴンス

私は今大連にいます。
路面電車.jpg
晩飯は犬肉の鍋です。私は犬が好きなので抵抗がありましたが、何事も経験だと思い挑戦しました。
犬鍋.jpg
今回で大連は3回目ですが、今回の目的は会社設立のためです。
ビル.jpg
このビルの中にこのたび
看板.jpg
こんな会社を設立しました。
—————————–
私は日本の印刷会社の四代目社長です。
このたび日本に株式会社dignetを設立し、今まで培ってきたデジタル技術・情報処理技術を正しくビジネスとしようとしています。dignetの事業の第一歩が大連迪拓信息技術有限公司の設立です。縁あって大連DTPに出会い、縁あって皆さんと一緒に仕事をすることになりましたが、どうしてこの会社の設立に至ったかを説明しておきましょう。
私はコンピュータ組版システムのオペレータとして入社し、以来社長就任まで13年間そのセクションに身を置き続けてまいりました。ですからプリプレス・デジタルへの愛情を深く持っています。その私が大連への進出を決意した理由はまず、価格面であることは間違いありません。お客様に対して安価なものを提供するというのは大変重要なサービスです。しかし、大和出版印刷は価格競争の中に身を置くことを避けてやってきました。それはそれ以上のサービスがあると自負してきたからでしょう。品質であったり、短納期であったり、印刷以外のサービス・便利さだったり、お客様へ対する忠誠心であったと思います。しかし、それだけではお客様の満足は得られなくなってきました。やはり安価であることはもはや当たり前でそれ以外の付加価値を要求されているのです。ですから一歩目は同じものであれば少しでも安くものづくりをするという基本をしっかり根付かせようと考えています。これがこの会社設立の理由の一つです。
この会社を成功させるためには皆さんは今の日本でのDTPと同じレベルの品質のものを作るスキルをまずは身に付けてください。一流のメーカーになるためには一流のユーザーになることが大切です。普段から印刷物をプロの目で見る癖を付け、たくさんの良い印刷物を見る・読む癖を付けてください。その次のステップはスピードです。品質を上げるためにはスピードが落ちてしまうものだと思います。当初はそれを人数でカバーしてもらってかまわないと思いますが、各人の仕事処理能力を上げ、仕事の質・量を上げていってもらいたいと思います。
しかしこれがこの会社設立の最大の理由ではありません。決定打は皆さんの「目」です。いろいろな会社を見学させてもらったり、皆さんが通われていた学校にも訪問させていただき、そのときに見た皆さんの「目」に惚れて大連での会社設立の決意をしました。必ずやこの人たちはもっと上を目指して努力し続けるに違いないと強く感じたのです。美しい日本語組版技術を手に入れた後には、それを効率よく早くする努力をするだろうし、その後にはデータの有効活用、デジタルコンテンツ制作やプログラム作成までも視野に入ってくるのはそう遠くないと思っています。私は日本人ですし、印刷屋の息子として生まれ、日本語組版に携わってきましたから日本での日本語DTPには愛情も未練もあり、空洞化させてはならないと思っていますが、そこを守るために皆さんの目を見なかったふりをすることはできませんでした。これが最大の理由です。
もちろんこんな夢を見させてくれるきっかけになった飯嶋さん、尹さんとの出会いがなければ何もなかったでしょう。私が全幅の信頼を置くお二人を信頼ください。
私が信頼を置く人が信頼する人を私も信頼します。皆さんの身近にいつもいる尹さん、程君、白雪ちゃんに信頼される人になってください。
このたび誕生したこの会社を風通しのよい小回りの利くいい会社にしましょう。大連で一番の会社に。「あの会社に入りたい」と多くの人に思われる会社にしましょう。
皆さんにお会いできたことを心から幸せに思っています。
—————————–
昨夜の開業式で社員のみんなにこう話しました。

一年

このブログを始めて一年が経ちました。今日は私の39回目の誕生日です。本当は直接会うか電話でおふくろに伝えたいのですが、照れくさいのでここで言わせてもらいます。「39年前産んでくれてありがとう。兄貴のように親より早く死ぬという親不孝をしないように、あなたにもらった命を大切にしていきます。少なくとも私が50代に突入するまではしっかり見届けてください。」
パソコンを触れないおふくろがこれを読むことは無いのですが・・・。
で、このブログはこっそり始めたのですが、意外に多くの方々に読んでいただいているようで、恥ずかしい思いもあるのですが、やはり嬉しいものです。
先日あるお客様から「ブログは書くのが楽しいのか?コメント等の反応が楽しいのか?」と尋ねられました。私は「気恥ずかしい思いが強いですが、徐々に書くことが楽しくなってきました。ただネタに困ることもあり、それは辛いです。」と答えました。一応「社長のブログ」なんてことになっていますから、とんでもないことは書けませんので。「裏ブログ」を開設すれば?というご意見もいただきましたが、それはちょっと。
とにかくこれからも気軽に続けていきたいと思いますので、拙いこのブログにお付き合いくださいませ。
この一行は「読んでるよ」と声を掛けてくださった皆様お一人お一人のお顔を思い浮かべながら書きました。
さ、良い40歳を迎えるために30代最後の一年を頑張ろう!

やっちまった

ギックリ腰.jpg
これは今朝会社での私の後姿。
先週末やってしまったギックリ腰。
今から4,5年前に初めて強烈なギックリ腰を患ったが、今回で2回目。初回の後も度々腰痛に悩まされていたので、牽引や鍼治療を受け用心していたのだが、油断した一昨日車の中の自宅の鍵を拾おうとしたとき咳をしてやってしまった。
重い荷物を持ち上げるときより、意外につまらないことで起こってしまうものだから皆さんもご注意を。
フットサルも大会に向けて練習の回数を増やそうとしているのに・・・。

カントリーロード

先日阪神高速道路の上で神姫バスを見かけたとき思い出した。
私のおふくろの故郷は兵庫県の加東郡社町(現加東市)。私が小学生の頃お盆の墓参りのついでにそのまま何泊か泊まって叔父達に遊んでもらっていた。当時の社はまだまだ自然が豊かで川や山で虫や魚を取って楽しく過ごしていた。
親父の車で行くこともあったが、おふくろと二人のときはいつも神姫バス。玉津から国道175号線を北上し、ゆっくり社へ向かう。当時はバイパスも無くゆっくりと車窓からの景色を楽しみつつちょっとした旅行気分だった。
当時の私が大好きだったテレビ番組は「太陽にほえろ」で、そこにはよく銃撃シーンがあった。窓側に座った私はもし車内に凶悪犯人がいて拳銃を撃ってきたら、通路側のおふくろが危ない。そう思った私はおふくろに席を替わってもらい通路側へ。通路側に座ったら、外で銃撃戦があれば窓側が危ない。一体どちら側に座ればいいんだと社へ着くまで悩み続けたものだ。
そんな優しく可愛かった少年が今では・・・。

おうじょうしまっせぇ~

牛乳の紙パックは開けやすくなったね。
以前はよく失敗して反対側でもう一度トライしていたもんだが、最近は綺麗に簡単に開く。
検索ウィンドウに検索キーワードを見せるTVCMが増えたね。
以前はURLを表示するCMが多かったけど、今は専らこっちだね。
テレビ番組が中途半端な時間に始まることが多くなったね。
以前は18:00から始まってたニュースが17:54から始まったりしてるね。
色々なものが変わっていってるね。
急激な変化には気付きやすいけど、徐々に変わっていってるものには気付きにくいものがあるね。
刑法に違反した犯罪の発生件数は10年前約180万件、今年は300万件になるかもしれないらしい。

更生

奈良での痛ましい事件の被告の死刑が確定した。事件直後には表しようもないほどの怒りと悲しみを覚えた。被害者と同じ年代の娘を持つ父親としても、被害者の両親の心中を察することは容易なことではない。想像しようとしたしただけで胸が締め付けられる。
死刑の是非は別として、被害者が一名の殺人事件に極刑が言い渡されたことは救いにも何もならないせめてもの救いである気がする。妙な日本語であるが・・・。
その判決理由の中に「30代後半の壮年の域にある被告が人格を矯正、更生することは極めて困難」というものがあった。被告と同年代の私としては大変複雑な心境。ひとくくりにして欲しくない。私はまだまだ変わっていきたいし、間違いは正していきたい。もちろん内容や深さが違うことは分かっているが、人間は変わることができる生き物であると信じている。
前述の通り判決に異を唱えるつもりもないし、その立場でもないことを書き加えておく。

当然寝不足である。レース終了後もしばらく眠ることができなかった。9月に入ってから、そわそわしながら待ちに待ったレース。多くの人の夢(勝手ながら)を乗せて素晴らしいレースだったと思う。残念?確かに残念。しかし多くの感動もあった。夢の達成の難しさ、そのための努力の美しさを見せ付けられた。レース後数分間呆然としたが、気が付けば一人テレビの画面に向かって拍手していた。
それにしても今年は野球・サッカー・競馬と世界への挑戦が大きく取り上げられた一年だった。ボクシングもあったが・・・。
グローバルなビジネスをする状態ではないが、六甲アイランドの片隅から視野だけでも世界へ拡げていきたいと思う。
でも今日は力が入らない・・・。

酒と涙と

あちらを立てればこちらが立たず。やりがいが大きくなれば苦悩も大きくなる。出会いが多くなれば別れも多くなる。喜び増えれば悲しみも増える。笑顔が増えれば涙も増える。楽しみが増えれば苦しみも増える。信じるものが増えれば信じられないものも増える。味方が増えれば敵も増える。高いところへ登るほど不安定になる。前へ進むほど後に引きずるものが重くなる。
今週の酒は喉ごしが悪く、苦く、深く残る。
それでも前を向き続ける。

便利なことは

好きなアーティストのアルバムが発売される前にレコード屋(死語?)に予約をして、発売日前日の夕方に行き無理を言って売ってもらい聞く。もの凄く得をした気分になり、何度も何度も聞く。それをカセットテープ(死語?)に録音し、ウォークマンで通学時の電車の中で聞く。曲の内容だけでなく曲の順番からもアーティストのメッセージが伝わってきたりもする。また何年も経ってから同じアルバムを聞くと当時は聞き流していた曲に心を奪われたりもして、自分の心境の変化や成長に気付かされるときもある。
もちろんその頃も色々なアーティストのアルバムから好きな曲を選んで「マイベスト」テープを作ったりして聴いていたが、今は最初から好きな曲だけを選んでダウンロードして聴くことがいとも簡単。しかも5分の曲をダウンロードするのに必要な時間はわずか数秒。さらにそれらを高さ90 mm幅42 mm厚さ6.5mmのモノに2,000曲も入るというのだから驚き。1枚40数分のアルバムを聴き、その中から好きな曲をチョイスして5分の曲を5分かけて録音し、それを繰り返して1本のカセットテープを作り、頭出しは自分の感覚でテープを巻き戻したり早送りしたり。そんな時代と今は同じ音楽を聴くという行動でも随分違うものだ。
ものを調べるとき百科辞典を使っていた。ある言葉を調べようと百科辞典のページをめくっているとその言葉にたどり着く前に別の言葉に目が留まりついその項目も読んでしまう。また、目的の言葉に到達してもその前後の項目も読んだり、他のページをめくって読んでいるうちに知識が広がったりしていたものだ。今のあらゆる電子辞書は目的の言葉を入力すると瞬時にその言葉の意味を表示する。
携帯電話の無い時代彼女とデートの約束をするためには家に電話を掛けるしかなかった。恐い両親が出ないことを祈りつつ、また両親のどちらが出ても好感を持ってもらえるよう言葉を準備しつつ。努力して迎えたデートの日、不測の事態が発生し約束の時間に遅れてしまうことに。遅れることを彼女に伝える術も無く1秒でも早く約束の場へ向かう彼と、彼の身を案じつつひたすら駅前で待つ彼女。ようやく会えた二人の顔には待たせた申し訳なさや待たされた怒りよりも、会えた喜びの表情が満ちている。
楽しいデートの途中些細なことから口論になってしまった。挙句デートは中断となりお互い家路に着くことに。反対方向の電車に乗った二人は電車が動き出した瞬間後悔し、謝ろうと思うが時既に遅し。その機会は1時間半後の彼女が家に着く頃まで無い。その頃を見計らって彼女に電話し謝り次のデートの約束をする。感情的な行動をとってしまったことを大いに反省しつつ。
彼女とのデートの約束は携帯電話で。遅れることを伝えるのも携帯電話で。謝ってお互い次の駅で降りて引き返して15分後にもう一度会うことを伝えるのも携帯電話で。
便利なことはいいことだ。何も否定するつもりは無いが、便利なことは豊かなこと?

東京へ

一昨日初めて神戸空港を利用した。駐車場から横断歩道を渡るとすぐにターミナルに到着。大変便利だ。小さな地方空港のメリットが生きている感じ。
しかし、離陸してから驚いた。東京は神戸より東にあるはずなのに、しばらく低空で西へ向かって飛んで行くのだ。やはり関空・伊丹との兼ね合いなのだろう。しばらくと言っても車ではなく飛行機のそれだから、相当な距離を西進したことになることは間違いない。もったいない話だ。
利用した航空会社は安価な運賃で有名なところ。実際10,000円ジャスト。搭乗すると新聞も雑誌も無い。シートの前のポケットには緊急時のマニュアルと気分が悪くなった時に使う袋のみ。当然飲み物のサービスも無い。なのにCAは4人。これはきっと乗客の数に対してCAの人数が法的に定められていて、その最少人数であるとみた。シートが革であることには驚いたが、これは耐久性の面からランニングコストを考えて生地のシートより低コストであるという判断をしたとみた。この2つは無知な私の勝手な想像なので他言しない方が無難。
機内は離陸から着陸まで大変静かで、短時間ではあるが熟睡できた。サービスをしないというサービスの存在に気付かされた思いだ。
私はこの航空会社のファンになった。