彼が来た。

先日例の革バカおやじがうちの会社に遊び(仕事?)に来てくれた。私はおやじの仕事場にはちょくちょくお邪魔しているのだが、来てもらったのは初めてのこと。せっかく来てもらったので一所懸命会社の設備を自慢げに説明したのだが、彼が興味を示したのは彼に作ってもらった私の部屋の革のデスクマットの経年変化、応接室の革張りのソファ、社員が使っている彼にもらった革のマウスパッド。やっぱり革バカだった。
そんな中、革以外で唯一興味を示したのが40歳を超えるうちの長老の印刷機たち。最新鋭の印刷機の説明にはさほど興味を示さなかったが、
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この2台の印刷機を食い入るように見ていた。そういえば彼も商売道具であるミシンは中古の旧型を手に入れたよう。どうやらそれがしっくりくるらしい。新しくなるということは必ずしも進化したとは言えないという事実もある訳だ。
私は決して新しいもの好きではないが、仕事上新しいものを追い続けなければならない。その際しっかり地に足を付け、変化を必ず良化にすることを肝に銘じていよう。
今進めている新しいプロジェクトについては近日公開。乞うご期待。

18年

風邪をひいてしまって昨日は早退した。かなりしんどかったが墓参してから帰った。昨日は弊社の創業者である私の祖父の命日だったのだ。命日に必ず墓参しているわけではないが、何故か足が向いた。
18年前のじいさんが死んだ日、私はアメリカにいた。その頃ホームステイ先を追い出され安モーテル住まいをしながら次のホームステイ先を探すという不安定な生活をしていた私を気遣って、親父はじいさんの死を私に知らせなかった。その間何度か手紙や電話でのやりとりがあったにもかかわらず。それから約1ヶ月経ってようやく良い家族に出会い、ホームステイを受け入れてもらえることになり、親父へその報告の電話をした際、そこへ手紙を送るから待てとのこと。内容はおおよそ察していたが、数日後に着いた手紙の枚数には驚いた。8月の後半から悪化したじいさんの容態について、亡くなる瞬間について、その後の葬儀についてが細かく記されていた。私に知らせなかった理由、思いもそこには記されていて、親父の気持ちを深く理解することができた。
日記代わりに手紙を書き日本に送っていた私は帰国後それらを読み返してみた。すると8月29日にじいさんの夢を見たと書かれていた。非科学的なことはあまり信じない性質だが、最後にじいさんが私に会いに来てくれたことは間違いないと信じている。
昨日は周りに誰もいなかったので、声に出して話してみた。
「おじいちゃん、おじいちゃんが創った大和出版印刷は今でも社会に必要とされているみたいだよ。素晴らしいことだね。僕は精一杯この会社を守るよ。」
暑くてたまらずその場を去る時、綺麗なハンミョウが行く先を教えてくれた。

神様仏様のところにはやっぱり行って参らなければいけないのだろうか。哀悼の誠を捧げるならば家の中からその方角を向いて心を込めて手を合わせればいいのではないかと思ってしまう。また不戦の誓いを新たにするならば尚更近隣諸国が明らかに嫌がっていることをしないでもいいのではないかとも思う。「大人の事情」があるのかもしれないが、不戦の誓いの行為が反日感情を高まることになるなら本末転倒も甚だしいのではないかと。ただ「内政干渉じゃ。ほっといてくれ!」の気持ちも分からないではない。
昨日墓参りに行ってきた。手ぶらで。線香替わりのセブンスターに火を付け手を合わせた後その場を去ろうとした時、兄貴の声が聞こえた。「頑張れよ」と。その場をしばらく動けず涙がこぼれた。
やっぱり行って参らなければいけないのだろうか・・・。分からない。

どなた様か存じ上げませんが・・・。

このクソ暑いのに朝っぱらからドタマにくる!こんなことが許されるんか!何でそんなことができるねん!こうなったら文字にするのも憚られるくらいの罵詈雑言を浴びせたい!
1時間ほど前こんな光景を目にした。
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ここがどこかというと、
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ここはうちの社員が通勤時に利用するところ。だからという訳ではないけれど、何でこんなことするん?さっぱり理解できひんわ。
当然こうして、
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こうなったけど、
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どうしても納得できひん!情けないわ。
拾うのを快く手伝ってくれた社員に感謝。水洗い・ラベルはがし・分別に今から協力してくれるだろう社員にも感謝。でも全て当たり前のこと。
お捨てになった方、あなたはご自分のお家の床にゴミを捨てていらっしゃるのですか?もしそうだとしたら今後はご自分のお家の中でゴミをお捨てになられた方がよろしいかと思いますが。

礼儀?礼節?行儀?慇懃?丁寧?謙虚?尊敬?尊重?配慮?思慮?公正?公平?正当?正義?正論?
スポーツ?

アイドル

先週水曜日の夜に私が憧れる人を取り上げたテレビ番組があった。私がその人を心から好きで、その人に関わるものを集め、その人が住んでいた家まで行ったくらいであることを知る人たちからその番組の情報が寄せられた。もちろん私は知っていたが、何人もの人が電話やメイルで知らせてくれた。
「焼酎」の時にも書いたと思うが情報を発信するところに情報が集まるということをあらためて実感した。
それにしてもこの時代にあの人が取り上げられるというのは大変嬉しいこと。私にとって雲の上の人だが、あの人に近い人が今の時代に現れて欲しいと切望する。
また「武相荘」に行きたくなった。

観劇 感激

昨日三木市文化会館で行われた朗読劇「この子たちの夏」を観に行ってきた。観に行ったというよりも実行委員の一人として少しお手伝いをしてきたものであるから、昨日も昼から搬入やプログラム販売も手伝いながら、何とか19時の開演から観ることができたという感じ。
「この子たちの夏」とは地人会という劇団が21年前から全国で700回以上上演し続けてきている、広島・長崎で被爆された親・子の手記を朗読するというもの。6人の女優と5人の地元ボランティアが舞台の上で手記と短歌をひたすら朗読する。ただそれだけ。舞台の上にはスクリーンがあり、そこには手記を書いた方の名前とたまに写真(全てモノクロ)が映し出されるが、基本的にはひたすら朗読。それもマイクを通さず肉声での朗読。
カラー画像、動画、3DCG、5.1chサラウンド、バーチャルリアリティ・・・。
ひたすら肉声での朗読。
仕事上では新しい技術を追いかけ、お客様にその提案を進めてはいるが、「かなわないなぁ」というのが正直な感想。肉声での朗読だけ。それだけが自分の脳と心に強烈に突き刺さり、涙があふれる。
便利なツールは人間の想像力を破壊してしまうのかもしれないという憂いもある。しかし、コンテンツによっては有効な手段が幾通りもあり、正しくお客様に提案することのみが我々の存在価値だと考える。便利なツールが人間に与えた余力が正しく良い方向に使われることを信じて仕事に向かうべきだと。
60年以上も経ちあらゆる技術が進歩している。残念ながら武器・兵器も大変進歩してしまっているよう。しかし、あの日以来人が人に対してあの爆弾を投下したことは今のところ無い。世界中で紛争・戦争が起こっているにもかかわらず・・・。その事実があの爆弾の悲惨さを物語っているように思える。今のところ人間にはあの悲惨さ残酷さに対する記憶はあるようだ。これは全世界に語り継いでいかなければならない最も重要な過去であることは間違いない。
「この子たちの夏」は今日堺市で上演される。

3

私はスリーフィンガーである。今この時もスリーフィンガー。右手の中指と人差し指、左手の人差し指しかキーボードに触れていないのである。
初めてコンピュータに触れたのは1986年、今からちょうど20年前。入社後3年程は一日中コンピュータを使う仕事に従事していた。にもかかわらずスリーフィンガー。しかし、スリーフィンガーにしては入力スピードもそこそこ速く、ストレスを感じることは無い。ただ、人に文字入力している姿を見られるのは大変恥ずかしいのだ。先日大変小さなノートパソコンを購入した。これこそが完全モバイル仕様のマシンとほくそ笑み、ワイヤレス環境を整えていざ街へ繰り出しマクドナルド等でワイヤレスネットワークを駆使し、モバイル環境を体感しようと思うのだが、人前で右手の2本の指が「T」や「F」辺りのキーまで侵している入力スタイルを見せるのは非常に恥ずかしい。
以前社員に薦められたブラインドタッチ養成ソフトで練習して、美しい姿での入力ができるようになりたい。街に出るのはそれからだ。何事も格好から入る私にとってはとても自然なことだ。
さ、練習しよう。因みにこれを入力するなんてあっという間のことだった。何の問題もないのだが・・・。格好さえ気にしなければ。

ようやく

次の日曜日と月曜日の早朝でようやくW杯が終わる。寝不足の日々から解放されるわけだ。と言ってもサッカーの無い日は飲みに出掛けていたので、その回数が増えるだけかもしれないが・・・。
大会が始まる前はフランスの優勝を予想していたのだが、今となってはイタリアが優勝しそうな気がする。それにしてもジダンの本気がもう見れなくなると思うと寂しい限りだ。社員からは頭髪だけジダンに似ているなどと言われたものだから余計に親しみを感じている。
ジダン、フィーゴ、ロベカル、中田英・・・。
隣の国からミサイルが発射されているというのに、呑気にサッカーや酒を楽しんでていいものだろうか。

履き倒れ

私は靴を磨くのが好き。と言っても人の靴を磨くほど靴を磨くことが好きではない。昼休みに自分の靴を磨いている。
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高校生の頃お年玉を貯めたお金で少し贅沢なポストマンシューズを買って、それを毎日のようにピカピカに磨いて登校していた。当時キャンパス内に靴修理屋のおっさんがいて、意外にもそのオヤジの腕が良く、何度も底を張り替えてもらったりして大学生になってもその靴を履き続けていた。
その後その靴を履くこともなくなったが、どうしても棄てることができず引越しのたびにかみさんと口論になりながらも下駄箱の奥で隠居生活を送っていた。昨年大掃除の際その靴が発見され、その時にはカビも生えていたため断腸の思いでとうとうお別れした。寝不足の朝に棄てていいか尋ねられつい頷いてしまったことを今でも後悔している。
マメに靴磨きをしているが、これは完全に自己満足。私の足元を気に掛ける人などいる訳もない。ただ自分の足元がきれいであることでキチンとした気持ちになり仕事に向かえるのだ。
そう言えば、一人私の足元を気に掛けてくれる人がいた。鞄屋の革オタクのオヤジだ。彼は私の足元を覗き込み「いい革やなぁ」と言ってくれる。「いい靴やなぁ」って言えっちゅうねん!