気にはなっていたが、ブログを書く気分になれなくて随分長い時間が経ってしまった。
そんな中先日嬉しい出来事があったので、久しぶりに書いてみよう。
印刷業界のある会で年一回開かれている印刷品質を競うコンテストがあり、当社は昨年初めて出品し、「審査員特別賞」を受賞した。その際金賞・銀賞を独占した印刷会社の方(以下敬意を込めて印刷バカと呼ぶ)と話す機会があり、印刷バカの印刷に対する情熱に触れ大いに刺激を受けた。同時に印刷バカをうならせるような印刷物を作りたいという思いも持った。
そこでこの一年間(ずっと考えていたわけではないが)「打倒○○」を合言葉に高品質印刷に取り組み、私のアイディアである「黒の中の黒」「茶色の中の茶色」のポスターを作成した。それは黒の背景の中に黒の革鞄、茶色の背景の中に茶色の革鞄が配置されたもので、見た目は地味だが印刷としては大変高度な技術を要求されるものである。
印刷に携わった社員は入社4年足らず22歳の若手。その彼が社長である私も寄せ付けず渾身の力で印刷したものは息を呑むほど素晴らしく、出品前に金賞受賞を確信したほどだった。
同時に入社2年足らずの若手営業部員のアイディアで印刷された機械式腕時計のポスターも手前味噌のようだが素晴らしい出来栄えだった。
両方を出品して数週間後、受賞の通知が届いた。震える手でそれを開封すると「金賞」の文字が。当然狂喜乱舞。社員へ大声で金賞受賞を伝えた私の目に飛び込んできたのは受賞作品の文字。何と受賞したのは私のアイディアである「黒の中の黒」ではなく、若手営業部員のアイディアである「機械式腕時計」の方。大変複雑な思いになってしまった。
東京での展示会・研修会・授賞式に参加してきたが、その展示会には受賞作品が展示されており、当社の作品も堂々とその場にあった。すると当社の作品を腕を組みながら食い入るように見る人が。そう、あの印刷バカである。しばらく後姿を見ていた後、声を掛けると第一声が「まいりました」。これには涙が出そうになるくらい嬉しかった。その後も胸のポケットから取り出したルーペで作品を見ては、賛辞が止まらない。さすがは印刷バカだ。さらに嬉しかったのは選にもれたが展示会にお情けで展示してくれていた「黒の中の黒」の説明をすると、「私が審査員ならどちらも金賞だ。どちらかと言うとむしろこちらかもしれない」という言葉。
この言葉をもらったからという訳ではないが、受賞したのがアイディア・撮影・補正・レイアウト・印刷の全てを社員が行ったものであるということはこれ以上ない喜びだと思えた。
その後の授賞式には得意気で満面の笑みの私がいた。そういえば印刷を担当したあの若手印刷オペレータに読ませた本は印刷バカが著したものだったなぁと思いつつ・・・。
厄年
とは「災難に遭うことが多いので気をつけるべきだといわれる年。」らしい。
前厄に入ってまだ1ヶ月も経っていないというのに、良くないことばかりだ。
もう一度厄払いに行くべきなのだろうか・・・。
後厄が終わるまでのことを考えるとあと2年11ヶ月もある。
こんな調子で厄を乗り切れるのだろうか。
ま、精神的なものだと思うが、ならばなおさら厄払いに行って精神的に楽になるべきか。
それにしても自分の力ではどうにもならないことで良くないことが続きすぎる。
きっと偶然だよな。きっと・・・。
きっと明日はいい日になるだろうな。きっと・・・。
記事
今朝、朝刊を読んでいるとジワ~っと胸が熱くなる記事が。
ゆっくり感慨にひたっていると10分ほど遅刻してしまった。
戦争、平和。人間。う~ん・・・。
http://www.asahi.com/national/update/0119/TKY200701180382.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070118i112.htm
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070119k0000m040106000c.html
http://www.sankei.co.jp/chiho/niigata/070119/ngt070119001.htm
http://www.mukogawa-u.ac.jp/
脳
最近テレビでクイズ番組が多いような気がする。一時期氷河期と言われたものの現在再燃の兆しがあるらしい。
最近ゲームソフトにクイズ形式のものが多いような気がする。脳のトレーニングだとか、今さら聞けない大人の常識だとか・・・。
先日始まった話題のドラマを観た。その中に「日本は優れた製品を作り続けるしかない。そのために必要なのは技術、技術を生み出そうとする人間の力だ。」「この国に資源と呼べるものがあるとすれば、いい物を作ろうと切磋琢磨する人間の熱意だけかもしれない。」
「その努力と熱意を忘れた時にこの国の成長は止まり、未来も止まる。」というようなセリフがあった。
ゆとり教育大いに結構、情操教育は大変重要、大賛成。しかし円周率3はまずかった。掘れば石油が湧いて出るわけもなく、知恵・技術・勤勉が資源のこの国に適した教育はあるはず。専門家の方よろしく。
この時代にクイズ番組・ゲームソフト・ドラマ。作り手のメッセージが伝わる気がする。反面、何とは言わないがバカ番組・バカソフト・バカドラマがあるのも事実。
今春中学3年生になる我が息子よ、漠然としていてもいいから君は自分の将来を見据え、自分にプラスになることを選択しているか?バカ父として憂う。
当社の社員たちよ、お客様のため、自分のために技術を磨き誠実に仕事に取り組んでいるか?バカ社長として憂う。
脳をしっかり鍛えよう。私はまだ今年たったの40歳。
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
正月が正月らしくなくなったと感じるのは私だけでしょうか?
おっさんになっただけなのかなぁ。何だか正月らしさを感じなくなってしまいました。具体的に何故かは分かりませんが、正月らしさを感じなくなりました。酒もあまり飲まなかったし・・・。
昨日近くの多井畑厄神に厄払いに行ってきました。誰かと一緒に行くとその人に厄が移ると言われたので一人で歩いて行ってきました。車でなら5分くらいですが、歩いて行くと20分くらいはかかります。それでも寒風の中歩いた方が厄払いの効果も高くなるのではないかと思い、汗をかきながら歩いて行ってきました。そんなことを考えるのもおっさんになったからかなぁ。
毎年思うことですが、今年は本当に勝負の年になると気を引き締めている今年前厄の私です。
ペイフォワード
先日友人に薦められて「ペイフォワード(Pay it forward)」という映画を観た。
2000年の映画らしいから今さらという方もおられるだろうが、とても良いストーリーだと思った。
今から10年前当社のホームページを開設する際、会社案内のページだけではつまらないと思い、webの最大の特長であるリンクを充実させようと考えた。同時に発信すべきコンテンツが充実していなかったこともあるが・・・。
テーマは「地球のため」「人のため」。「自分一人くらい」ではなく「自分一人だけでも」地球のため、人のためになることをしていこう。そういう「自分一人だけでも」がみんなになれば素敵なことだという思いを込めたサイトにした。
今回この映画を観て10年前を改めて思い出した。
この映画お薦め。
今年も・・・
一昨日の日曜日、今年で5回目の出場になるフットサルの大会がありました。昨年の同時期にも優勝を目指しつつ残念な結果になってしまった報告をしたのですが、今年も同じことになってしまいました。
1試合目は攻守ともバランスよく5-0で圧勝。午後に行われる決勝トーナメントに備えて用意していたおにぎりも役立つように思えました。周りを見渡すと以前よりも平均年齢の若いチームが多くなった印象はありましたが、中には女の子ばかりがキャーキャー言いながらやっているチームもありましたし、ジーンズのまま試合に出ている兄ちゃんがいるようなチームもありましたから、2試合目の相手次第では楽に決勝進出できるのではないかとチーム全員が考えていたと思います。
そうこうしているうちに始まった2試合目の相手の試合。我々はその試合を見ることができましたので、じっくり観戦をし分析を行いました。チームの平均年齢は我々より7、8歳は若い印象でしたが、力の差はそれ程あるようには感じられませんでした。もちろん楽に勝てる相手ではないと気を引き締めなおしましたが、勝てる相手だと自信を持って試合に臨みました。
しかし実際試合が始まってみると、下半身の重さやスピードで相手の方が一枚上で、序盤から防戦一方になる展開に。コーナーキック等から2失点し嫌なムードになりかけましたが、前半終了間際に1点を返し、大いに望みが持てる状態で後半を迎えました。
相手チームは1試合目に我々が下した相手に6点以上の差をつけて圧勝していましたから我々は勝つ以外に決勝トーナメントへの進出の可能性はありません。引き分けでもいい相手に対し、我々は必死の攻めを続けます。ボールが外へ出れば控えている選手が懸命にボールを追い素早くフィールドへ戻し、時間のロスを最小限に食い止めます。フィールドの中の選手も外の選手も鬼の形相で声を張り上げ、相手と時間と戦い続けました。しかし無情にもタイムアップのホイッスル。結局1-2のまま敗北となってしまいました。
結局今年も餃○の○将での食事は残念会となってしまいました。
でもスポーツって真剣にやればやるほど楽しいですね。今年もまた同じことを書きますが、「来年こそ優勝します」参加チームの中では1、2位を争うほど平均年齢が高いチームですが、真剣に優勝を目指します。
歴史
大和出版印刷という会社は1948年に創業し、たくさんの活字職人を抱えた文字組を得意とする印刷会社でした。
私が高校2年生の夏、当時社長だった私の祖父から会社にアルバイトに来るよう言われました。その仕事内容は解版(改版ではありません)というもので、印刷が終わってその使命を終えた活版を崩すというものでした。しかし正しい解版とは活字を元の棚に戻したり、材質の違うものを仕分けしたり、再利用可能か否かを判断したりするものでしたが、私の行っていたそれはゴミの分別に過ぎませんでした。材質の違うものを仕分けるだけで、再利用については全く考慮されていませんでした。つまり活字を捨てるという作業だったのです。活字職人の隣で・・・。
私は作業の内容についての説明は受けていましたが、その目的については知らされていませんでした。しかし、しばらく作業をしているとそのことに気付き、職人の隣でこの作業をすることに大変な罪悪感を持ち始め、重い版を運び誰もいない工場の片隅で作業をするようになっていました。作業をしていると70歳近い職人が私のところにやってきて、どうしてこんな所で作業しているのかと尋ねてきました。私が感じていることを話すと、その職人はニッコリと笑って「なんや、そんなこと気にしとったんか。わしはこの仕事50年ちこうやっとうけど、寂しい思わへん。気にせんと真ん中の広いとこでやり。もう活字の時代やないことくらいみんな分かっとうから。せやけど、あんたらの時代はおんなじことで50年飯食われへんかもしれんで。何が幸せなんか分からへんもんや。」
それから7年後に私が入社した時は会社のコンピュータシステムが第二世代になる時でした。数百年の歴史を持ち、35年会社を支えてきた活字を捨てて選んだコンピュータシステムはわずか7年でその限界を迎え全く別のシステムに道を譲ることになったのです。
先日大連へ向かう飛行機の中でこんなことを思い出していました。
ダーレンディトゥシンシィチーシュヨーシェンゴンス
私は今大連にいます。
晩飯は犬肉の鍋です。私は犬が好きなので抵抗がありましたが、何事も経験だと思い挑戦しました。
今回で大連は3回目ですが、今回の目的は会社設立のためです。
このビルの中にこのたび
こんな会社を設立しました。
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私は日本の印刷会社の四代目社長です。
このたび日本に株式会社dignetを設立し、今まで培ってきたデジタル技術・情報処理技術を正しくビジネスとしようとしています。dignetの事業の第一歩が大連迪拓信息技術有限公司の設立です。縁あって大連DTPに出会い、縁あって皆さんと一緒に仕事をすることになりましたが、どうしてこの会社の設立に至ったかを説明しておきましょう。
私はコンピュータ組版システムのオペレータとして入社し、以来社長就任まで13年間そのセクションに身を置き続けてまいりました。ですからプリプレス・デジタルへの愛情を深く持っています。その私が大連への進出を決意した理由はまず、価格面であることは間違いありません。お客様に対して安価なものを提供するというのは大変重要なサービスです。しかし、大和出版印刷は価格競争の中に身を置くことを避けてやってきました。それはそれ以上のサービスがあると自負してきたからでしょう。品質であったり、短納期であったり、印刷以外のサービス・便利さだったり、お客様へ対する忠誠心であったと思います。しかし、それだけではお客様の満足は得られなくなってきました。やはり安価であることはもはや当たり前でそれ以外の付加価値を要求されているのです。ですから一歩目は同じものであれば少しでも安くものづくりをするという基本をしっかり根付かせようと考えています。これがこの会社設立の理由の一つです。
この会社を成功させるためには皆さんは今の日本でのDTPと同じレベルの品質のものを作るスキルをまずは身に付けてください。一流のメーカーになるためには一流のユーザーになることが大切です。普段から印刷物をプロの目で見る癖を付け、たくさんの良い印刷物を見る・読む癖を付けてください。その次のステップはスピードです。品質を上げるためにはスピードが落ちてしまうものだと思います。当初はそれを人数でカバーしてもらってかまわないと思いますが、各人の仕事処理能力を上げ、仕事の質・量を上げていってもらいたいと思います。
しかしこれがこの会社設立の最大の理由ではありません。決定打は皆さんの「目」です。いろいろな会社を見学させてもらったり、皆さんが通われていた学校にも訪問させていただき、そのときに見た皆さんの「目」に惚れて大連での会社設立の決意をしました。必ずやこの人たちはもっと上を目指して努力し続けるに違いないと強く感じたのです。美しい日本語組版技術を手に入れた後には、それを効率よく早くする努力をするだろうし、その後にはデータの有効活用、デジタルコンテンツ制作やプログラム作成までも視野に入ってくるのはそう遠くないと思っています。私は日本人ですし、印刷屋の息子として生まれ、日本語組版に携わってきましたから日本での日本語DTPには愛情も未練もあり、空洞化させてはならないと思っていますが、そこを守るために皆さんの目を見なかったふりをすることはできませんでした。これが最大の理由です。
もちろんこんな夢を見させてくれるきっかけになった飯嶋さん、尹さんとの出会いがなければ何もなかったでしょう。私が全幅の信頼を置くお二人を信頼ください。
私が信頼を置く人が信頼する人を私も信頼します。皆さんの身近にいつもいる尹さん、程君、白雪ちゃんに信頼される人になってください。
このたび誕生したこの会社を風通しのよい小回りの利くいい会社にしましょう。大連で一番の会社に。「あの会社に入りたい」と多くの人に思われる会社にしましょう。
皆さんにお会いできたことを心から幸せに思っています。
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昨夜の開業式で社員のみんなにこう話しました。
一年
このブログを始めて一年が経ちました。今日は私の39回目の誕生日です。本当は直接会うか電話でおふくろに伝えたいのですが、照れくさいのでここで言わせてもらいます。「39年前産んでくれてありがとう。兄貴のように親より早く死ぬという親不孝をしないように、あなたにもらった命を大切にしていきます。少なくとも私が50代に突入するまではしっかり見届けてください。」
パソコンを触れないおふくろがこれを読むことは無いのですが・・・。
で、このブログはこっそり始めたのですが、意外に多くの方々に読んでいただいているようで、恥ずかしい思いもあるのですが、やはり嬉しいものです。
先日あるお客様から「ブログは書くのが楽しいのか?コメント等の反応が楽しいのか?」と尋ねられました。私は「気恥ずかしい思いが強いですが、徐々に書くことが楽しくなってきました。ただネタに困ることもあり、それは辛いです。」と答えました。一応「社長のブログ」なんてことになっていますから、とんでもないことは書けませんので。「裏ブログ」を開設すれば?というご意見もいただきましたが、それはちょっと。
とにかくこれからも気軽に続けていきたいと思いますので、拙いこのブログにお付き合いくださいませ。
この一行は「読んでるよ」と声を掛けてくださった皆様お一人お一人のお顔を思い浮かべながら書きました。
さ、良い40歳を迎えるために30代最後の一年を頑張ろう!