JAGUAR

一昨年ある方からJAGUARを1台いただいた。ご子息のために購入されたようだが、ご子息がお気に召さなかったようで、ほぼ新車の状態でいただいた。とんでもなくありがたい話だ。私も休日には時々乗っており、その乗り心地は大変素晴らしく、あてもなくウロウロすることが嫌いな私でも天気のいい日は行く先を決めずJAGUARのハンドルを握ることもしばしば。一応私の息子のものということになっているので彼の了解を取らなければならないが、彼がサッカー部の練習に行っている時などこっそり無断で乗ったりもする。昨日もそうだった・・・。
ところが数ヶ月前ブレーキに故障が見付かり走行不能になった。近くの修理工場に持って行ったのだが、外車であることや修理した実績もないし部品もないということで大変消極的な対応。しかし、ブレーキの故障という致命的なものだったので無理矢理JAGUARを置き去りにして修理を依頼してきた。翌週連絡がありやはり部品の調達が難しいという消極的な回答。だが継続して他の部品で代用できるか等検討してみるとも言ってくれた。それからまた一週間くらいが経ち、修理の上手な職人を見付けることができ修理が完了したとの連絡があった。喜び勇んで引き取りに行くと完璧に直ったJAGUARがいた。色々手配をしてくれた若い男性社員に心からの謝意を伝えると、彼は照れくさそうな表情でおもむろに請求書を私に手渡した。その金額を見て私は腰を抜かしそうになった。なんとその金額は500円だったのだ。調整だけで済んだから工賃の500円だけでいいと言うのである。
困り果てていた私を助けてくれたのに当たり前の仕事をしただけという表情の彼に惚れ、今後ここ以外利用しないことを心に誓った。
当社の社員よ、お客様にこのように思ってもらえるようになろうよ!営業部員のみならず作り手も自分が関わらせてもらっている仕事に感謝し、お客様に役立つモノ作りを常に意識していこうではないか。社員一人ひとりが会社を代表しているという意識を強く持とう!

先日の受賞の話以外最近ネガティヴなことばかり書いている気がするが、決して気持ちがネガティヴになっている訳ではない。むしろ仕事に対してはポジティヴな気持ちを持ち続けている。そこで今回は涙について書いてみよう。と書けばやっぱりネガティヴに感じられてしまうかもしれないが、やっぱりポジティヴなのだ。
最近特にそうだがもともと私の涙腺は緩いようで、学生時代「南極物語」を観た時には号泣した記憶がある。そんな私もさすがに会社で涙を流したのは数回に限られる。
今から10数年前、あるおそろしいスケジュール・量の仕事をしていた時の事だった。最終的に早朝5:00くらいから印刷しなければ間に合わなくなり、前夜に翌朝5:00の出社を口の悪い印刷職人に依頼していた。ところが翌朝私がコンピュータの前で奮闘していた4:00頃「頑張っとるかぁ。」の声と共にその職人が元気よく入ってきた。その声は徹夜続きで疲労困憊の私の心身に響き、涙が流れた。
今から約10年前、当時外注に依存していたモノクロの仕事がカラー化する際、内製化するよう兄貴に指示された。そのための設備も人員も不足していたため当時制作現場を任されていた私は拒否したのだが、その仕事を担当している当社の営業マン・その仕事を一緒にしたいと企む他の外注先の営業マンの2人が私に懇願してきた。体制が整っていないため現行体制の維持を主張したが、最終的には兄貴に無理矢理押し付けられた形になった。その会議終了後2階へ降りる階段で悔し涙を流しながら壁に拳で穴を開けてしまったが、結果的にはその仕事により多くのノウハウが身に付き、無形の財産を手に入れることになった。
これもまた約10年前、3月の繁忙期に無理矢理押し込んだ仕事について製本屋の若旦那から帰る間際の夜に電話があった。私が手配した仕事の印刷部数が全く足りないと言うのだ。納期まで日が無いのでその晩仕事してもらわなければならないのに・・・。間違いはないと思ったが念のために調べに行った。すると確かに部数が足りない。途方にくれ会社へ戻ると無人のはずの印刷工場に電気が点いている。扉を開けると帰り支度を終えた前述の口の悪い印刷職人と当時の工場長が私の帰りを待っていてくれた。事情を説明すると「よっしゃ」の一声で作業着に着替え直し、綺麗に後片付けの済んだ印刷機に再びインキを入れ、その時間から刷り足してくれた。2人に詫びると、「こんだけたくさんの仕事の段取りして、失敗が1個だけなんてさすがや。俺にはできひんわ。」という言葉。これには泣かされた。
今から2年10ヶ月前兄貴が突然死んだ。それはとてつもなく悲しい出来事だったが、会社では当然泣いていられない。それどころか、全く手を付けたことが無い仕事が山積しており、感情なんて全て置き去りにして仕事をしていた。特に会社の経理関係については近寄ったことすら無かったので、会計ソフトにログインすることも大変だった。会社にとって金は血液に近いものがあり、決してその流れを滞らせる訳にはいかない。入るものも出るものも正確性が最も要求されることも言うまでもない。出入りする銀行マンや経理に明るい友人の教えを受け、過去のデータを参照しながら何とか業務に慣れてきた頃、銀行から送られてきた当座勘定照合表と会計ソフトの合計金額が少し合わない。不一致の項目を調べると、それは生命保険料だった。毎月決まった金額が口座から振り替えられるものについて兄貴はその年度末まで前もって入力していたのだ。借入金の返済や機械のリース料等のデータは正確に入力されていた。しかし、会社で掛けている生命保険の兄貴の分だけ掛金が落ちなくなっていたので金額に誤差が生じたのである。そのデータを直しながら不意に涙が止まらなくなった。それまで兄貴が書いた手書きの資料を見ながら仕事をしているときにも寂しさは感じていたが涙は出なかった。なのに、パソコンの画面にある無機的なデジタルの数字に涙が止まらなくなったのだ。兄貴が入力した生命保険料の数字を私が直さなくてはならない事実が油断していた私の心の中にいきなり入ってきた。
3日前、中国の大連に出張していた時のこと。中国ではその週末まで春節だったので、現地の社員と新年会を行った。その際現地を任せている中国人の総経理(GM)が社員に熱弁をふるい始めた。それは10分にも15分にも及び彼女のテンションはとても高かった。熱心に聞いている社員を見渡すと何人かが涙をこぼしている。気が付けば私にも涙があふれてきた。隣を見ると同行していた日本人社員も涙を流している。それほど感動的なスピーチだったのだ。しかしそれは当然中国語のもので、私にも同行していた日本人社員にも全く理解できないものだった。なのに涙が出た。何故だったのか今でも分からないが、言葉ではない何かが私達に涙を流させたのだろう。不思議な体験だった。
ここまで書いて非常にポジティヴな気持ちになれた。

金賞

気にはなっていたが、ブログを書く気分になれなくて随分長い時間が経ってしまった。
そんな中先日嬉しい出来事があったので、久しぶりに書いてみよう。
印刷業界のある会で年一回開かれている印刷品質を競うコンテストがあり、当社は昨年初めて出品し、「審査員特別賞」を受賞した。その際金賞・銀賞を独占した印刷会社の方(以下敬意を込めて印刷バカと呼ぶ)と話す機会があり、印刷バカの印刷に対する情熱に触れ大いに刺激を受けた。同時に印刷バカをうならせるような印刷物を作りたいという思いも持った。
そこでこの一年間(ずっと考えていたわけではないが)「打倒○○」を合言葉に高品質印刷に取り組み、私のアイディアである「黒の中の黒」「茶色の中の茶色」のポスターを作成した。それは黒の背景の中に黒の革鞄、茶色の背景の中に茶色の革鞄が配置されたもので、見た目は地味だが印刷としては大変高度な技術を要求されるものである。
印刷に携わった社員は入社4年足らず22歳の若手。その彼が社長である私も寄せ付けず渾身の力で印刷したものは息を呑むほど素晴らしく、出品前に金賞受賞を確信したほどだった。
同時に入社2年足らずの若手営業部員のアイディアで印刷された機械式腕時計のポスターも手前味噌のようだが素晴らしい出来栄えだった。
両方を出品して数週間後、受賞の通知が届いた。震える手でそれを開封すると「金賞」の文字が。当然狂喜乱舞。社員へ大声で金賞受賞を伝えた私の目に飛び込んできたのは受賞作品の文字。何と受賞したのは私のアイディアである「黒の中の黒」ではなく、若手営業部員のアイディアである「機械式腕時計」の方。大変複雑な思いになってしまった。
東京での展示会・研修会・授賞式に参加してきたが、その展示会には受賞作品が展示されており、当社の作品も堂々とその場にあった。すると当社の作品を腕を組みながら食い入るように見る人が。そう、あの印刷バカである。しばらく後姿を見ていた後、声を掛けると第一声が「まいりました」。これには涙が出そうになるくらい嬉しかった。その後も胸のポケットから取り出したルーペで作品を見ては、賛辞が止まらない。さすがは印刷バカだ。さらに嬉しかったのは選にもれたが展示会にお情けで展示してくれていた「黒の中の黒」の説明をすると、「私が審査員ならどちらも金賞だ。どちらかと言うとむしろこちらかもしれない」という言葉。
この言葉をもらったからという訳ではないが、受賞したのがアイディア・撮影・補正・レイアウト・印刷の全てを社員が行ったものであるということはこれ以上ない喜びだと思えた。
その後の授賞式には得意気で満面の笑みの私がいた。そういえば印刷を担当したあの若手印刷オペレータに読ませた本は印刷バカが著したものだったなぁと思いつつ・・・。
ランゲ.JPG
カバン.JPG

厄年

とは「災難に遭うことが多いので気をつけるべきだといわれる年。」らしい。
前厄に入ってまだ1ヶ月も経っていないというのに、良くないことばかりだ。
もう一度厄払いに行くべきなのだろうか・・・。
後厄が終わるまでのことを考えるとあと2年11ヶ月もある。
こんな調子で厄を乗り切れるのだろうか。
ま、精神的なものだと思うが、ならばなおさら厄払いに行って精神的に楽になるべきか。
それにしても自分の力ではどうにもならないことで良くないことが続きすぎる。
きっと偶然だよな。きっと・・・。
きっと明日はいい日になるだろうな。きっと・・・。

記事

今朝、朝刊を読んでいるとジワ~っと胸が熱くなる記事が。
ゆっくり感慨にひたっていると10分ほど遅刻してしまった。
戦争、平和。人間。う~ん・・・。
http://www.asahi.com/national/update/0119/TKY200701180382.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070118i112.htm
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070119k0000m040106000c.html
http://www.sankei.co.jp/chiho/niigata/070119/ngt070119001.htm
http://www.mukogawa-u.ac.jp/

最近テレビでクイズ番組が多いような気がする。一時期氷河期と言われたものの現在再燃の兆しがあるらしい。
最近ゲームソフトにクイズ形式のものが多いような気がする。脳のトレーニングだとか、今さら聞けない大人の常識だとか・・・。
先日始まった話題のドラマを観た。その中に「日本は優れた製品を作り続けるしかない。そのために必要なのは技術、技術を生み出そうとする人間の力だ。」「この国に資源と呼べるものがあるとすれば、いい物を作ろうと切磋琢磨する人間の熱意だけかもしれない。」
「その努力と熱意を忘れた時にこの国の成長は止まり、未来も止まる。」というようなセリフがあった。
ゆとり教育大いに結構、情操教育は大変重要、大賛成。しかし円周率3はまずかった。掘れば石油が湧いて出るわけもなく、知恵・技術・勤勉が資源のこの国に適した教育はあるはず。専門家の方よろしく。
この時代にクイズ番組・ゲームソフト・ドラマ。作り手のメッセージが伝わる気がする。反面、何とは言わないがバカ番組・バカソフト・バカドラマがあるのも事実。
今春中学3年生になる我が息子よ、漠然としていてもいいから君は自分の将来を見据え、自分にプラスになることを選択しているか?バカ父として憂う。
当社の社員たちよ、お客様のため、自分のために技術を磨き誠実に仕事に取り組んでいるか?バカ社長として憂う。
脳をしっかり鍛えよう。私はまだ今年たったの40歳。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
正月が正月らしくなくなったと感じるのは私だけでしょうか?
おっさんになっただけなのかなぁ。何だか正月らしさを感じなくなってしまいました。具体的に何故かは分かりませんが、正月らしさを感じなくなりました。酒もあまり飲まなかったし・・・。
昨日近くの多井畑厄神に厄払いに行ってきました。誰かと一緒に行くとその人に厄が移ると言われたので一人で歩いて行ってきました。車でなら5分くらいですが、歩いて行くと20分くらいはかかります。それでも寒風の中歩いた方が厄払いの効果も高くなるのではないかと思い、汗をかきながら歩いて行ってきました。そんなことを考えるのもおっさんになったからかなぁ。
毎年思うことですが、今年は本当に勝負の年になると気を引き締めている今年前厄の私です。

ペイフォワード

先日友人に薦められて「ペイフォワード(Pay it forward)」という映画を観た。
2000年の映画らしいから今さらという方もおられるだろうが、とても良いストーリーだと思った。
今から10年前当社のホームページを開設する際、会社案内のページだけではつまらないと思い、webの最大の特長であるリンクを充実させようと考えた。同時に発信すべきコンテンツが充実していなかったこともあるが・・・。
テーマは「地球のため」「人のため」。「自分一人くらい」ではなく「自分一人だけでも」地球のため、人のためになることをしていこう。そういう「自分一人だけでも」がみんなになれば素敵なことだという思いを込めたサイトにした。
今回この映画を観て10年前を改めて思い出した。
この映画お薦め。

今年も・・・

一昨日の日曜日、今年で5回目の出場になるフットサルの大会がありました。昨年の同時期にも優勝を目指しつつ残念な結果になってしまった報告をしたのですが、今年も同じことになってしまいました。
1試合目は攻守ともバランスよく5-0で圧勝。午後に行われる決勝トーナメントに備えて用意していたおにぎりも役立つように思えました。周りを見渡すと以前よりも平均年齢の若いチームが多くなった印象はありましたが、中には女の子ばかりがキャーキャー言いながらやっているチームもありましたし、ジーンズのまま試合に出ている兄ちゃんがいるようなチームもありましたから、2試合目の相手次第では楽に決勝進出できるのではないかとチーム全員が考えていたと思います。
そうこうしているうちに始まった2試合目の相手の試合。我々はその試合を見ることができましたので、じっくり観戦をし分析を行いました。チームの平均年齢は我々より7、8歳は若い印象でしたが、力の差はそれ程あるようには感じられませんでした。もちろん楽に勝てる相手ではないと気を引き締めなおしましたが、勝てる相手だと自信を持って試合に臨みました。
しかし実際試合が始まってみると、下半身の重さやスピードで相手の方が一枚上で、序盤から防戦一方になる展開に。コーナーキック等から2失点し嫌なムードになりかけましたが、前半終了間際に1点を返し、大いに望みが持てる状態で後半を迎えました。
相手チームは1試合目に我々が下した相手に6点以上の差をつけて圧勝していましたから我々は勝つ以外に決勝トーナメントへの進出の可能性はありません。引き分けでもいい相手に対し、我々は必死の攻めを続けます。ボールが外へ出れば控えている選手が懸命にボールを追い素早くフィールドへ戻し、時間のロスを最小限に食い止めます。フィールドの中の選手も外の選手も鬼の形相で声を張り上げ、相手と時間と戦い続けました。しかし無情にもタイムアップのホイッスル。結局1-2のまま敗北となってしまいました。
結局今年も餃○の○将での食事は残念会となってしまいました。
でもスポーツって真剣にやればやるほど楽しいですね。今年もまた同じことを書きますが、「来年こそ優勝します」参加チームの中では1、2位を争うほど平均年齢が高いチームですが、真剣に優勝を目指します。

歴史

大和出版印刷という会社は1948年に創業し、たくさんの活字職人を抱えた文字組を得意とする印刷会社でした。
私が高校2年生の夏、当時社長だった私の祖父から会社にアルバイトに来るよう言われました。その仕事内容は解版(改版ではありません)というもので、印刷が終わってその使命を終えた活版を崩すというものでした。しかし正しい解版とは活字を元の棚に戻したり、材質の違うものを仕分けしたり、再利用可能か否かを判断したりするものでしたが、私の行っていたそれはゴミの分別に過ぎませんでした。材質の違うものを仕分けるだけで、再利用については全く考慮されていませんでした。つまり活字を捨てるという作業だったのです。活字職人の隣で・・・。
私は作業の内容についての説明は受けていましたが、その目的については知らされていませんでした。しかし、しばらく作業をしているとそのことに気付き、職人の隣でこの作業をすることに大変な罪悪感を持ち始め、重い版を運び誰もいない工場の片隅で作業をするようになっていました。作業をしていると70歳近い職人が私のところにやってきて、どうしてこんな所で作業しているのかと尋ねてきました。私が感じていることを話すと、その職人はニッコリと笑って「なんや、そんなこと気にしとったんか。わしはこの仕事50年ちこうやっとうけど、寂しい思わへん。気にせんと真ん中の広いとこでやり。もう活字の時代やないことくらいみんな分かっとうから。せやけど、あんたらの時代はおんなじことで50年飯食われへんかもしれんで。何が幸せなんか分からへんもんや。」
それから7年後に私が入社した時は会社のコンピュータシステムが第二世代になる時でした。数百年の歴史を持ち、35年会社を支えてきた活字を捨てて選んだコンピュータシステムはわずか7年でその限界を迎え全く別のシステムに道を譲ることになったのです。
先日大連へ向かう飛行機の中でこんなことを思い出していました。

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