5月1日土曜日

うるう年がある関係でまる6年経った今年、7つの曜日が一周してあの日と同じ土曜日の5月1日。
あの日の夕方、誘った社員全員にふられ一緒に飲みに行く相手がいない私に、「今から大阪に飲みに行くけどお前も来るか?」と。「帰りのこと考えたらめんどくさいからええわ。」そう私が答えるのを分かっていたかのように「そうか、ほなお先に、さいなら。」
これが兄貴との最後の会話。会社を出て行く後姿が最後に見せた姿。
私のメイルアドレスは「kenbo」。アドレスを聞かれるたびに恥ずかしいので「ケイイーエヌビィオー」と言う。私にはろくにニックネームが無いが、バイト先の先輩が呼び始めてくれた「けんぼー」が気に入っているのでメイルアドレスにした。
会社でドメインd-wa.co.jpを取得したとき、社員に希望メイルアドレスを提出させた。当時システム管理者だった私は専務だった兄貴にも同様に提出させた。社長だった親父にはメイルアドレスは付与しなかったので、私は兄貴が当然takebeを取るだろうと思っていた。そのため先にkenboを取得し送受信のテスト等を行っていた。ところが兄貴が提出してきたそれは「anny」。ん?アニー?何じゃそれ。尋ねると武部兄だから「あに」→「アニー」→「anny」とのこと。
O型の典型で細かいことは気にせず頓着しない男のようであったが、本当はこんな男だったのだ。
未だに当社のアドレスに兄弟で譲り合うようにした「takebe」は無い。
今年も30人を超える人が今日の兄貴を偲ぶ会に集ってくれる。ありがたいことだ。
41歳で逝った兄貴を42歳の私が偲ぶ。

コメント

  1. kuro より:

    annyの件、とても嬉しそうに解説しながら名刺をいただいた時のことを鮮明に思い出しました・・・月日の経つのは早いものですね・・・。というのはとても月並みで恐縮ですが、いつもこの時期、偲ばせていただいております。
    今より何十倍も生意気で世間知らずでむこうみずだった私を、同僚や上司以上にサポートしてくださった約1年間がなければ、人とのつながりや心の機微など、大切なものに気づかないまま、とっくに退職してしまっていたかもしれません。
    感謝の気持ちを忘れず、これからも細々とやっていきたいなと思います。

  2. kenbo より:

    ありがとうございます。
    私こそあらゆる方々への感謝の気持ちを忘れずに頑張らなければいけないと思っています。
    これからも地に足をつけつつ色々なことに挑戦していきたいと思います。面白く有意義な情報が提供できるよう努めます。

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