あの頃のまま

私はタオルケットが好きで、冬でも毛布と体の間にはタオルケットが必要な体質である。そんな体質は医学的には認められないだろうが、私はそういう体質なのだ。
さらに幼いときからの習慣により、洗濯寸前のクタクタで少し湿度があり自分なりの柔らかい匂いがする状態を好んでいる。
洗濯直後の洗剤の香り、サラっとした肌触りは普通の人にとっては気持ちのよいものだろうが、私には心地よいものではない。それが新品になろうものならもっと違和感を持つのである。
先日何年も眠るときの私を心地よく包んでくれていたタオルケットにとうとう穴が開き、その役目を新品に譲らざるを得なくなった。
とは私の目線なのでタオルケットにとってはようやく御役御免だと安堵しているかもしれないが・・・。
という訳で最近の私は睡眠時間の割に疲れがとれていない。
路地の写真展か写真集を見たらしく、何事にも感化されやすい私の友人が路地の写真を撮るのにハマっているという。その話を聞いて私は生まれた頃に住んでいた灘区の光景を思い出し、小学校2年生まで歩き遊んでいた路地へ彼を連れて行った。舗装されてしまった部分もあったが概ねあの頃のままで、案内している間はとても懐かしく嬉しく興奮したひと時だった。
その頃住んでいた文化住宅の裏の路地に幼稚園児だった私が建てた墓標のことを思い出した。どこかの旅館でもらったインクの出なくなった青のボールペンに紙を貼り付けただけのものだったが、私が一所懸命作った墓標。
泣きながら別れを惜しんでいた私をからかってひらがなの「はか」の「は」に点をつけ「ばか」にした兄貴たち。とても悔しくさらに泣いたことを覚えている。
それは「タオルくんのばか」になってしまった。
そう、今から35年ほど前の私はタオルケットの墓を作っていたのだ。

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