当たり前のことをあらためて

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密かに使いが行って耳元に一言二言、阿吽の呼吸で結果が決まる。ほとぼりの冷めた頃に星や物のやりとりがあり貸し借りがなくなる。情緒があればいいってもんじゃないだろうけど、メイルで細かい内容まで指示をして振込による現金の授受ってあまりに無粋。

先日見たテレビでは戦時中戦地にいる夫と留守宅で幼い子と共に夫の帰りを信じて待つ妻との何百通にも渡る手紙を二人の死後その息子が見つけるという物語があった。
かと思えば彼女に携帯電話のメイルの履歴を見られてもめているというカップルの悩みを聞いた。

商売柄情報伝達の新しい技術には敏感であり、新しいメディアや時代の流れには素早く反応しているつもりではあるが、時に疑問に思うこともある。新しい便利な道具が人をダメにしていることもあるのではないかと。便利が必ずしも人を幸せにしないのではないかと。
しかし便利なものを手にした後に不便なものに戻ることはできないだろうし、道具は便利を追い求めて進歩していくのは当然。
ならば道具を使う人間のモラルの向上、教育の充実が必要だろう。学ばせるための便利な道具を提供するより、学ぶことの意味について考えさせ、学ぼうとする姿勢を持たせること、つまりキャリア教育こそが我々大人の重要な仕事だと思う。
ようやく現状を憂い後世のために何かしなければと思うようになった。ただ今は社業に追われ考えているだけなのがもどかしい。

その社業とはもちろん営利を目的としているが、目先の利益のみを追い続け印刷物を作ることを目的としてしまうことのないように心掛けている。情報の持つ特性を理解し最適なメディアに表現することを提案できなければならないと思っている。時には印刷物を否定できなければならないとも思っている。役立たないものは残らないし残酷な言い方をすれば役立たない人も残れないし役立たない企業も残れない。逆に言うと役立つものは残る。あらためて役立ちについて深く考えていきたい。我々が社会に役立ち続けるようにありたい。

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このページは、kenboが2011年2月20日 17:02に書いたブログ記事です。

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