2007年3月アーカイブ

本当はもう少し引っ張ろうと思っていましたが、今日来社された方にも「JAGUARいいですね!何年式のどのモデルですか?」と聞かれてしまったし、革バカおやじにもコメントを付けられてしまいましたので、私の息子の愛車JAGUARの写真をお見せしましょう。

JAGUAR.jpg

です。
4月1日ではありませんから嘘はつきません。本当でしょ?
ドライブとも書いていないし、自転車にもハンドルはあるでしょ?
因みに修理してくれたのはカインズホーム神戸垂水店。本当に親切でしたよ。

これがオチでした。失礼しました。

一昨年ある方からJAGUARを1台いただいた。ご子息のために購入されたようだが、ご子息がお気に召さなかったようで、ほぼ新車の状態でいただいた。とんでもなくありがたい話だ。私も休日には時々乗っており、その乗り心地は大変素晴らしく、あてもなくウロウロすることが嫌いな私でも天気のいい日は行く先を決めずJAGUARのハンドルを握ることもしばしば。一応私の息子のものということになっているので彼の了解を取らなければならないが、彼がサッカー部の練習に行っている時などこっそり無断で乗ったりもする。昨日もそうだった・・・。

ところが数ヶ月前ブレーキに故障が見付かり走行不能になった。近くの修理工場に持って行ったのだが、外車であることや修理した実績もないし部品もないということで大変消極的な対応。しかし、ブレーキの故障という致命的なものだったので無理矢理JAGUARを置き去りにして修理を依頼してきた。翌週連絡がありやはり部品の調達が難しいという消極的な回答。だが継続して他の部品で代用できるか等検討してみるとも言ってくれた。それからまた一週間くらいが経ち、修理の上手な職人を見付けることができ修理が完了したとの連絡があった。喜び勇んで引き取りに行くと完璧に直ったJAGUARがいた。色々手配をしてくれた若い男性社員に心からの謝意を伝えると、彼は照れくさそうな表情でおもむろに請求書を私に手渡した。その金額を見て私は腰を抜かしそうになった。なんとその金額は500円だったのだ。調整だけで済んだから工賃の500円だけでいいと言うのである。

困り果てていた私を助けてくれたのに当たり前の仕事をしただけという表情の彼に惚れ、今後ここ以外利用しないことを心に誓った。
当社の社員よ、お客様にこのように思ってもらえるようになろうよ!営業部員のみならず作り手も自分が関わらせてもらっている仕事に感謝し、お客様に役立つモノ作りを常に意識していこうではないか。社員一人ひとりが会社を代表しているという意識を強く持とう!

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先日の受賞の話以外最近ネガティヴなことばかり書いている気がするが、決して気持ちがネガティヴになっている訳ではない。むしろ仕事に対してはポジティヴな気持ちを持ち続けている。そこで今回は涙について書いてみよう。と書けばやっぱりネガティヴに感じられてしまうかもしれないが、やっぱりポジティヴなのだ。

最近特にそうだがもともと私の涙腺は緩いようで、学生時代「南極物語」を観た時には号泣した記憶がある。そんな私もさすがに会社で涙を流したのは数回に限られる。

今から10数年前、あるおそろしいスケジュール・量の仕事をしていた時の事だった。最終的に早朝5:00くらいから印刷しなければ間に合わなくなり、前夜に翌朝5:00の出社を口の悪い印刷職人に依頼していた。ところが翌朝私がコンピュータの前で奮闘していた4:00頃「頑張っとるかぁ。」の声と共にその職人が元気よく入ってきた。その声は徹夜続きで疲労困憊の私の心身に響き、涙が流れた。

今から約10年前、当時外注に依存していたモノクロの仕事がカラー化する際、内製化するよう兄貴に指示された。そのための設備も人員も不足していたため当時制作現場を任されていた私は拒否したのだが、その仕事を担当している当社の営業マン・その仕事を一緒にしたいと企む他の外注先の営業マンの2人が私に懇願してきた。体制が整っていないため現行体制の維持を主張したが、最終的には兄貴に無理矢理押し付けられた形になった。その会議終了後2階へ降りる階段で悔し涙を流しながら壁に拳で穴を開けてしまったが、結果的にはその仕事により多くのノウハウが身に付き、無形の財産を手に入れることになった。

これもまた約10年前、3月の繁忙期に無理矢理押し込んだ仕事について製本屋の若旦那から帰る間際の夜に電話があった。私が手配した仕事の印刷部数が全く足りないと言うのだ。納期まで日が無いのでその晩仕事してもらわなければならないのに・・・。間違いはないと思ったが念のために調べに行った。すると確かに部数が足りない。途方にくれ会社へ戻ると無人のはずの印刷工場に電気が点いている。扉を開けると帰り支度を終えた前述の口の悪い印刷職人と当時の工場長が私の帰りを待っていてくれた。事情を説明すると「よっしゃ」の一声で作業着に着替え直し、綺麗に後片付けの済んだ印刷機に再びインキを入れ、その時間から刷り足してくれた。2人に詫びると、「こんだけたくさんの仕事の段取りして、失敗が1個だけなんてさすがや。俺にはできひんわ。」という言葉。これには泣かされた。

今から2年10ヶ月前兄貴が突然死んだ。それはとてつもなく悲しい出来事だったが、会社では当然泣いていられない。それどころか、全く手を付けたことが無い仕事が山積しており、感情なんて全て置き去りにして仕事をしていた。特に会社の経理関係については近寄ったことすら無かったので、会計ソフトにログインすることも大変だった。会社にとって金は血液に近いものがあり、決してその流れを滞らせる訳にはいかない。入るものも出るものも正確性が最も要求されることも言うまでもない。出入りする銀行マンや経理に明るい友人の教えを受け、過去のデータを参照しながら何とか業務に慣れてきた頃、銀行から送られてきた当座勘定照合表と会計ソフトの合計金額が少し合わない。不一致の項目を調べると、それは生命保険料だった。毎月決まった金額が口座から振り替えられるものについて兄貴はその年度末まで前もって入力していたのだ。借入金の返済や機械のリース料等のデータは正確に入力されていた。しかし、会社で掛けている生命保険の兄貴の分だけ掛金が落ちなくなっていたので金額に誤差が生じたのである。そのデータを直しながら不意に涙が止まらなくなった。それまで兄貴が書いた手書きの資料を見ながら仕事をしているときにも寂しさは感じていたが涙は出なかった。なのに、パソコンの画面にある無機的なデジタルの数字に涙が止まらなくなったのだ。兄貴が入力した生命保険料の数字を私が直さなくてはならない事実が油断していた私の心の中にいきなり入ってきた。

3日前、中国の大連に出張していた時のこと。中国ではその週末まで春節だったので、現地の社員と新年会を行った。その際現地を任せている中国人の総経理(GM)が社員に熱弁をふるい始めた。それは10分にも15分にも及び彼女のテンションはとても高かった。熱心に聞いている社員を見渡すと何人かが涙をこぼしている。気が付けば私にも涙があふれてきた。隣を見ると同行していた日本人社員も涙を流している。それほど感動的なスピーチだったのだ。しかしそれは当然中国語のもので、私にも同行していた日本人社員にも全く理解できないものだった。なのに涙が出た。何故だったのか今でも分からないが、言葉ではない何かが私達に涙を流させたのだろう。不思議な体験だった。

ここまで書いて非常にポジティヴな気持ちになれた。

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